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東海白樺山岳会ブログ

愛知県名古屋市にある山岳会です。仲間を募って山に登る会の運営、会員の登山記録、行事等の活動を発信しています。

大峰・山上ヶ岳下山

大峰山の山上ヶ岳に登って来ました。洞川温泉の奥の名水までは雪はなく車が入れました。そこから上は道が氷っていましたので、名水の駐車場から清浄大橋を渡って往復しました。雪はけっこうありました。頂上には立派なお寺がありました。
途中にはいくつもの茶屋があり、茶屋の中が登山道でした。歴史の山に感謝。 F

その他
Kです。
藤原岳予定どおり登り、下山しました。
報告します。
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[ 2017年02月27日 08:32 ] 奈良県の山 | TB(0) | CM(0)

鈴鹿・御在所岳下山 他

一の谷新道は、登り口がサッパリわからず断念。
小屋の反対側から、勝手知ったるいつもの本谷へ。
本谷を登り、ロープウェイのレストランでカレーを食べて、中道で下りてきました。
今年は雪が沢山あって楽しめました。
大黒滝の写真です。いつもは近寄らないのですが、今回は下まで行ってみました。 I

Wです。
尾張富士・白山に取材山行で行ってまいりました。
本宮山も併せて3山回る予定で出かけましたが里山で多くの道が入り込んでいる中で記事に乗せられる道を選んで歩くのに思いのほか時間がかかり尾張富士・白山にとどまりました。尾張富士と白山の間は舗装道路での移動を強いられ、ゴミの放置や送電線の走る景観には山々が可愛そうに思いました。それでも山中で見せてくれる展望は素晴らしく、特に白山社の景観は我々の日常を見守ってくれているかのように映りました。

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[ 2017年02月23日 15:48 ] 鈴鹿山脈 | TB(0) | CM(0)

ナンダ・コート 1936 初登頂の軌跡/1 ヒマラヤの扉開く 立大隊の精鋭6人

ソース:ナンダ・コート 1936 初登頂の軌跡/1 ヒマラヤの扉開く 立大隊の精鋭6人
陽光に輝く雪上から視界を遮るものはなかった。1936(昭和11)年10月5日午後2時55分。立教大山岳部遠征隊の6人がインドの未踏峰、ナンダ・コート(6867メートル)の頂上に立った。遠征隊長を務めた堀田弥一(1909~2011)は当時27歳。「闘い抜いた感激。そして、使い切った心身の疲労を自らねぎらった。吹き狂う氷雪の山頂で」と手記につづった。 富山県石田村(現黒部市)出身の堀田は立山連峰を望んで育ち、雪山やスキーに親しんだ。27年、旧制魚津中(現魚津高)から立大に進んだが、当時山岳部は夏山ハイキングを楽しむ程度。京都大、慶応大といった大学山岳界の旗手から水をあけられていた。堀田は卓越したリーダーシップで部の体質転換に着手。立山や後立山連峰など厳冬期の北アルプスに足しげく通い技量を磨いた。
以下全文はソースにアクセスする。

堀田弥一『ヒマラヤ初登頂』筑摩書房
戦前にヒマラヤに登頂した人達がいたのである。上記の書籍にまとめられている。この本には伊藤孝一の真川の小屋を利用したり、その記録に敬意を払っている記述が見られる。郷に入れば郷に従えと芦倉寺の道案内人を使ったりして雪の北アルプス登山のノウハウを習得している。若き日の原真との対談も面白い。

アマゾン、日本の古本屋で多数ヒットする。
日本の古本屋
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[ 2017年02月23日 00:32 ] 山岳ニュース | TB(0) | CM(0)

奥美濃・土蔵岳他下山報告

2月19日
土蔵岳と大ダワとの間の1028m付近から南東に伸びる尾根に上原谷と八草川の合流点から登って土蔵岳に行って来ました。国道303号の脇は雪の壁が出来ていました。脇道を通りすぎた観測所のような建物の所に駐車スペースが出来ていたので、車をとめて歩きました。腰位の高さの雪の壁からスノーシューをつけ歩きました。雪は柔らかく、スノーシューでも沈みました。オオダワと土蔵岳の稜線は雪が締っていて快適でした。天気が良く、周りの山が輝いて見えました。特に蕎麦粒山は格好良かったです。F


2月19日
遠州・八高山 K&Y


木曽・南木曽岳  Y

2月15日
伊那・蛇峠山  K

鈴鹿・御在所岳  I

鈴鹿・藤原岳  Y&K
木和田尾根を途中で撤退

東濃・三森山  Y


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[ 2017年02月20日 22:01 ] 岐阜県の山 | TB(0) | CM(0)

日本の山には「何か」がいる!・・・続く『山怪』ブーム

ソース:日本の山には「何か」がいる!・・・続く『山怪』ブーム
 山にまつわる不思議な話や体験談を集めた『 山怪 さんかい 』(山と渓谷社)が注目されている。刊行から約1年半で9万部を超えるなど、この種の出版物としては異例のベストセラーになっている。1月中旬には続編の『山怪  弐 に 』が出され、すでに3刷、3万5000部に達している。著者は、30年以上にわたって秋田の 阿仁 あに マタギなど各地の猟師を追い続けてきたフリーカメラマンの田中康弘さん(58)。なぜ『山怪』が受けているのか。出版の経緯を著者に聞くとともに、広く受け入れられている理由などを探った。

雪の中に突然姿を現し、消えた「夜店」

 今から40年ほど前、秋田県・旧阿仁町打当内うっとうない(現・北秋田市)に住む泉健太郎さんが中学生の頃の話。クラブ活動で遅くなった泉さんは、学校からの帰路、打当内へと曲がる辻つじに差しかかった。その辻の辺りは、昔から狐きつねの住処すみかと言い伝えられている鬱蒼うっそうとした場所だった。

 ある冬の日、いつものようにとっぷりと日が暮れて暗くなった帰り道。雪明りだけが頼りの寒い日だった。いつものように辻に近づく。

 「本当にあそこは怖かったもんなあ、暗くてよ。でもあの日は、そこさ曲がって、ぱって前見て驚いたんだぁ」

 泉少年が見たものは明るい光の列だった。

 「いやあ、明るくてな。見たら夜店が出てるんだぁ。靴屋とか玩具屋とか五、六軒あったんじゃないかなあ。あれぇ、今日はお祭の日だったかなあって、しばらくその店を眺めてたんだぁ」

 雪の中に突然姿を現した明るい店に見とれていると、その光が急に消えた。まるでいきなり停電にでもなったかのようだった。

 「えっ?」

 泉少年が呆気あっけにとられる。そこにはいつものように暗い雪景色が広がっているだけだった。

(『山怪』収録の「楽しい夜店」から)
 「山怪」とは、山の怪異のこと。狐や狸たぬきに化かされた話、神隠し、臨死体験、人魂ひとだまや狐火、大蛇の目撃談などが『山怪』には53話、続編の『山怪 弐』では78話にまとめられている。副題は「山人が語る不思議な話」で、猟師や林業関係者、民宿経営者、修験者など、山に暮らす人々から取材した。多彩な怪異譚たんが集められていることから、「現代版遠野物語」とも呼ばれる。
中略
名著『黒部の山賊』復刊もきっかけに

 山と渓谷社の編集者で、現在、同社主幹を務める勝峰富雄さん(51)との出会いも大きかった。勝峰さんは、2014年3月に“復刊”した『定本 黒部の山賊』の担当編集者だった。同書は、知る人ぞ知る山岳書の名著だが、自費出版のため、それまでは著者の伊藤正一さんが経営に携わる山小屋でしか買えない“幻の本”だった。

 この本の副題は「アルプスの怪」で、北アルプスの戦後間もない登山黎明期に、黒部の源流部で跋扈する「山賊たち」と「山の怪異」を描いた記録。『山怪』は一部、『黒部の山賊』に通じるものがあった。別の企画を一緒に進めていた田中さんから、「実は、こんな原稿を書いている」と相談され、書きかけの原稿を読んだ瞬間、「これはいける」と直感したという。

 『山怪』の読者層には女性も多く、中高年の男性を中心にして、幅広く受け入れられている。多くの人に読まれている理由について、田中さんは「まったく分からない。ただ、人は不思議なもの、怖いものにひかれる。怖がらせようとは意識していないが、これまでとは違った味付けの本になっているため、受けたのではないか」。勝峰さんは「日本は山国であり、闇がある。都会で暮らしてはいても、地方出身の人は子どもの頃、そんな闇を経験している。この本で、そのときの恐ろしかった感覚を思い出すのかもしれない。文章が作為的ではなく、自然なのも良かったのでは」と指摘する。

 ベストセラーの理由について、狩猟文化と山村の現状にくわしい田口洋美・東北芸術工科大学教授は「震災や災害などが続き、自然の怖さ、自然の不思議さに興味を持つ人が多いのではないか。体験談を集めたものなので、リアリティーがある。『遠野物語』が出たときの驚きと同じように、都会に暮らす人たちに受けているのかもしれない」と語っている。

 柳田国男が『遠野物語』の序文に、「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と書いてから100年余り。日本の山は今も変わらず、われわれ“平地人”を驚かせる怪異譚に満ちている。

引用以上。以下はソースにアクセス。
   

私も田舎生まれの田舎育ちなので子供時分から怪異な話は聞いたことがある。長じて登山をやるようになり柳田国男の著作に親しみ、講談社に『柳田國男全集』の刊行希望を出したこともあった。実際に筑摩書房から発刊が始まると全巻を揃えた。中でも『山の人生』は奥三河や奥美濃の話も取り上げられていてたまに読む。
さて、この本が9万部を記録したと知って驚いた。さらに続編もこの度に発刊された。書店で手にするが購入するまではなかった。私にとって目新しいテーマではないからだろう。類書は多数あるのになぜこんなに売れるのかが怪である。著者自身も不思議がっているくらいである。
私の推察であるが、著者が現場で直接取材採集しているからだろう。それが分かる文になっているからと思う。文中から引用すると「体験談は、可能な限り実名にした。「匿名の作り話ならいくらでもできる。これまで延々とやってきた取材の延長上にあるものなので、実名にこだわった。匿名にした話もあるが、まだ遺族がいるとか、子どもが関係しているような場合です。あと、山小屋と避難小屋は名前を出しませんでした。名前を特定すると、怖くて入れなくなるからやめてくれと言われたので」と笑う。」
例えば山岳雑誌『岳人』で奥秩父のミステリーを扱う特集があった。その何年か後に別のライターが日付などを少し違えて再録されたことがあった。明らかに剽窃と思い、編集部に抗議したことがあった。新聞記者でも作家でも巧妙に剽窃する。柳田國男は奥飛騨の親子3人が1杯の蕎麦を分け合う日本風の民話をこれは英国の民話の剽窃と見破ったという。
読者を感動させる出版物には偽物も多い。購入を遅らせているのはそんな懸念があったからでもある。この記事で実名を記載して信憑性を高めていることが分かった。正編だけでも購入して読んでみたい。





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[ 2017年02月18日 17:33 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

コース外のスキーで遭難か 男性不明 岐阜 白川村

ソース:コース外のスキーで遭難か 男性不明 岐阜 白川村
11日、岐阜県白川村のスキー場に出かけた名古屋市の30代の男性の行方がわからなくなり、12日の捜索では見つかりませんでした。男性はコース外の斜面を滑るバックカントリースキーをしていて遭難したと見られ、警察などは13日朝から捜索を再開することにしています。
12日午前8時ごろ、岐阜県白川村の「白弓スキー場」から、「きのう、スキーに出かけた男性と連絡がとれない」と警察に通報がありました。

警察によりますと、行方不明になっているのは名古屋市の30代の男性で、11日、白弓スキー場に出かけましたが、12日、知り合いとの待ち合わせの場所に現れず、携帯電話もつながらないということです。

知り合いが男性の車を捜したところ、スキー場の駐車場に止められたままでした。また、家族の話によりますと、男性はスキー場のリフトで上ったあと、コース外の圧雪されていない斜面を滑るバックカントリースキーをしていたと見られれるということです。

警察と消防は男性が遭難したと見て、付近の山を捜索していましたが見つからず、午後4時に12日の捜索を終えました。

気象台によりますと、11日、白川村には大雪と雪崩の注意報が出されていました。また、11日の朝から12日夕方までに40センチ近くの新雪が積もり、12日午後4時の積雪は1メートル98センチとなっています。

警察と消防は13日朝から男性の捜索を再開することにしています。
男性の父「無事見つかって」
富山県射水市から捜索の拠点になっている白弓スキー場に駆けつけた男性の父親は、「きのう昼前、知り合いとリフトの降り場から少し登ったところまで一緒に行き、その後、単独行動をしたらしいです。きのうの昼すぎにはメールなどに返事が返って来なくなったようです。知り合いの話では、ビバークする装備は持っていたということなので無事見つかってほしい」と話していました。
山スキーの愛好家に人気
岐阜県白川村が運営している白弓スキー場は標高913メートルまで上がれるリフトが1本あります。リフトを降りてさらに上には、以前、使われていた長さ200メートルほどのゲレンデがあるほか、山を登って尾根にも出られ、パウダースキーで山スキーの愛好家に人気だということです。

ただし、ゲレンデなどは全く整備していないため、白川村はあくまでも自己責任で安全を確保してほしいとしています。

白弓スキー場のリフトを担当している村瀬章吉さんは「きのうは7人ほどがバックカントリースキーに向かったので、『気をつけて』と声をかけました。無事見つかってほしい」と話していました。
以上

小屋番の山日記「飛騨・御前岳山スキー行」
※白弓スキー場から御前岳を目指したことがありました。2回トライして体力不足で引き返した。3月に森茂峠から挑戦してみたが栗ヶ岳で引き返した。御前岳は森茂に車が入れた頃、無雪期にヤブをこいで登っているが遠い山であった。行方不明の人はどの山を目指したのだろう。単独で御前岳なら雪が深く、しかも新雪のラッセルに疲労困憊することになる。何とか無事でいて欲しいですね。
2月16日午後、白弓スキー場近くの谷のくぼみで、遺体で発見されたとNHKニュースが報じた。多くの山仲間が捜索に加わっていたが、残念な結果になりました。お悔み申しあげます。
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[ 2017年02月12日 21:31 ] 道迷い | TB(0) | CM(0)

豊橋市・立岩でトレーニング


※写真の白っぽい点は雪です。温暖な豊橋でも雪が降るほど寒い1日でした。
2月11日は豊橋市の新所原にある立岩で岩登りのトレーニングでした。朝から寒くてモチベーションが今一の中、悴む手を岩にかけて断崖に挑みます。試みたコースは2本。1本は壁、もう1本は溝のあるルートでした。午後からは風花が舞いはじめ、一層寒さを募りますが、体が温まり、岩になじんだこともあって熱気が帯びてきました。全員で7名中、リード役と撮影班を除くと5名が3本は登攀の練習になったと思います。

83.3mの三角点の南の80mの等高線のピークが立岩で、神社マークの傍に切りたつ岩山です。
水線は豊川用水です。立岩の頂上からは豊橋自然歩道の山なみと神石山が良く見えます。
また、田原市の蔵王山や衣笠山も良く見えました。
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[ 2017年02月12日 17:54 ] 岩登り・クライミング | TB(0) | CM(0)

西に数年に一度強烈寒気 記録的大雪か

ソース:西に数年に一度強烈寒気 記録的大雪か
今夜から西日本の上空に強烈な寒気が流れ込み、週末にかけて比較的長く居座るでしょう。近畿北部から山陰を中心に大雪に警戒。太平洋側も積雪の恐れ。大きく交通機関が乱れる可能性があります。
◆今夜から強烈寒気流れ込む

今夜から西まわりで強い寒気が流れ込む見込みです。今回の寒気の特徴は以下の通りです。
①西日本の上空5500メートル付近に氷点下39度以下という数年に一度レベルの強烈な寒気が流れ込む見込み
②寒気は今夜から12日(日)頃にかけてと比較的長い期間居座り、影響が長引く恐れがある

このような強烈な寒気の影響で12日(日)頃にかけて日本海側は広く雪で、特に近畿北部から山陰を中心に雪の量が多くなるでしょう。山沿いは大雪に、平地でも過去にそうそうないような大雪となる恐れがあります。
◆2010年~2011年冬 山陰で大雪被害

過去にも山陰で記録的な大雪となり、大きな被害が出たことがありました。2010年の大晦日~2011年の元日に強い寒気が流れ込み、山陰で記録的な大雪に。鳥取県の米子では2011年1月1日に最深積雪89センチに達し、統計開始以来1位の記録となりました。このとき鳥取県や島根県では400隻ほどの漁船が雪の重みで転覆。また、電線が切れるなどして大規模な停電も発生しました。さらに、国道で車の立ち往生が発生するなどの被害がでました。
大規模な立ち往生は今年1月23日から24日の大雪でも米子自動車道や鳥取自動車道で発生しています。

今回も山陰から近畿北部を中心に大雪となり、立ち往生が発生するなど交通機関が大きく乱れる恐れがあります。また、湿った重たい雪が降り、電線に着雪、停電が発生する可能性もあります。不要不急の外出は避けて、停電に備えて懐中電灯や暖をとるものを用意しておくと良いでしょう。
◆太平洋側も所々で積雪

また、日本海側だけでなく、普段、雪の少ない太平洋側でも週末にかけて警戒が必要です。東海や四国、九州にも雪雲が流れ込み、積雪となる所があるでしょう。交通機関に影響がでる可能性がありますので、交通情報にもご注意下さい。また、夜間は冷え込み、路面が凍結する心配もあります。車は冬の装備で、雪道に慣れない場合は公共交通機関を使うなど無理のないようになさって下さい。(2017年2月9日 16時35分)
以上
【主な山岳遭難事故一覧】 ※平成 ※大量遭難=3名以上死亡
2004年2月には関西学院大学ワンゲル部の14人が大長山で遭難した事件がありました。地元の人は止めなさいと警告したが強行して山中でビバークとなった。豪雪地帯の低山を舐めた同部監督の発言も記憶に残る。
ブログ「雪山大好き娘」から
関西学院大学ワンダーフォーゲル部 大長山遭難事故

大体18年から20年に1回は豪雪の年回りがあります。山岳遭難も多かったと思います。休みの関係で12月から1月、3月が多い。2月は連休が少ないので大規模な登山隊が組めないからでしょう。豪雪は雪崩れを誘発しやすく、ルート判断のミスも多いかに思う。登山者には十分な警戒心が必要です。
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[ 2017年02月09日 17:39 ] 基本情報 | TB(0) | CM(0)

鎌ヶ岳下山他

三ツ口谷は沢山雪がありました。トレースがあり、ステップが階段状に切られています。
アイゼンもピッケルも要りません。ストックだけで充分。今日も楽な山だと思ったとたんに、トレースはなくなりました。
三ツ口尾根に登っていくヤシオ尾根の分岐で消滅。
沢を渉り長石尾根に登ったのか、ヤシオ尾根経由で三ツ口尾根に登ったのか。
トレースを頼らず自分で行くか・・・。少し迷いましたが、トレースがなくとも三ツ口谷を行くことにしました。
頑張りましたが、結局行き詰まり、大滝のはるか手前で長石尾根に登りました。
鎌ヶ岳山頂の祠は雪に埋まり、祠の上を歩いて山頂の南側へ。
岳峠方面からの夏道は分厚い雪に覆われた急峻な斜面。トレースは全くありませんでした。
帰りは長石尾根を通って中道駐車場へ戻りました。

危うく滑落
下りで、鎌ヶ岳山頂直下、前向きに下り始めました。2~3歩下ったところでスリップして尻もち。
あっという間に滑り出し止まりません。幸い灌木に向かって滑ったので助かりました。
自分の技術の低さ未熟さをよーく自覚し、危ない場所は後ろ向きで下りなくては。I


4日梨子野山~高鳥屋山 下山 Y
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[ 2017年02月06日 15:19 ] 鈴鹿山脈 | TB(0) | CM(0)

両神山下山

2月4日に埼玉県の両神山に日向大谷口から往復しました。雪は少なかったですが、登山道には以前降った雪が氷って残っていたり、その上に落ち葉や土が被さっている所が多くあり、慎重に登りました。清滝小屋の上で七滝沢コースとの出会からアイゼンを着けました。この日の登山者は10人程だと思います。頂上からは北アルプスや八ヶ岳、奥秩父や秩父の山々、浅間山に新潟の方の山々と素晴らしい眺めでした。会所と呼ばれる所までアイゼンを着けて降りました。アイゼンを着けたまま雪のない登山道や岩場を歩き、けっこう疲れました。F
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[ 2017年02月06日 15:09 ] 関東の山 | TB(0) | CM(0)

北アルプス 大町登山案内人組合100年 日本最古PR

 WEB版毎日新聞から
 長野県大町市の登山ガイド団体「大町登山案内人組合」が今年、発足100周年を迎える。日本初の登山ガイド組織として、楽しみで山に登る日本の近代登山の発展に大きく貢献してきた。組合は今年、市などと協力して記念事業を展開する計画で、関係者は「日本最古の登山ガイド団体はあまり知られていない。市の山岳文化をPRする機会にしたい」と話す。【稲垣衆史】

 組合は「大町登山案内者組合」として1917(大正6)年6月に設立された。前年に信濃鉄道大町駅(現・JR信濃大町駅)が開業し、北アルプスの地形図が整備されるなど、それまで知識人が中心だった登山が大衆化。大町も北アルプスの玄関口として年間1000人の登山者が訪れていたとされる。

 増加する登山者の要望に応えようと、組合を創設したのが市内で旅館「対山館(たいざんかん)」を営んでいた百瀬慎太郎(1892~1949年)だった。質の高い案内人を安定的に提供するため、地元の猟師ら山で働く人を中心に22人をガイドとしてまとめた。料金トラブルを避けるため定額料金を導入したり、心得や規約を作ったりし、資質の向上に努め、針ノ木小屋建設など針ノ木岳周辺の環境整備にも尽力した。こういった活動は模範となり、各地に同様の組合ができた。

 大町山岳博物館の関悟志・学芸員によると、百瀬は対山館を訪れる著名な登山家らと交流する中で、地元にいながらも新しい海外の登山文化などを取り入れていた。「組合の拠点だった対山館はサロンのような山の情報の交流・発信場になり、近代登山の発達に影響を与えた」と話す。

戦時中、登山者が減り、対山館が廃業するなどして活動は一時休業状態になるなど存続の危機が何度もあったが、乗り越えてきた。現在、組合には市周辺に住む約40人が加入。登山ガイドだけではなく、北ア北部地区山岳遭難防止対策協会のメンバーも兼ねて遭難救助や見回りなどにも当たる。狩野正明組合長(68)は「100年で山の道具も環境も変わったが、受け継いだ組合の伝統は伝えていかなければならない。活動や意義を知ってもらい、見直す機会になれば」と話す。

 記念事業では、組合員のガイドによる針ノ木岳へのツアーの他、同博物館では百瀬らを中心とした地域の登山史を紹介する特別展を開催。11月17日には記念式典も開く予定。
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[ 2017年02月02日 11:18 ] 山岳ニュース | TB(0) | CM(0)

「富士山見える限界の地」講演会 23日、東京で開催

中日新聞から
地理文化講演会「富士山の見える限界の地を求めて30年」が「富士山の日」を記念して2月23日午後6時から、東京都目黒区青葉台4の9の6、日本地図センターで開かれる。

 講師は長年、富士山の見える地域を研究してきた田代博同センター常務理事。田代さんは、富士山から308キロ離れ、理論上の富士山が見える北限と考えられる福島県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(918メートル)で、地元の登山愛好家3人が撮影した写真に、富士山の山頂が写っていることを確認した。

 入場無料。問い合わせは同センター、電話03(3485)5417。
(共同)
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[ 2017年02月02日 11:00 ] 山岳ニュース | TB(0) | CM(0)
プロフィール

東海白樺山岳会

Author:東海白樺山岳会
 1962(昭和37)年に名古屋市交通局の有志数名が設立。その後一般社会人の親睦の登山クラブとして継承されてきた。40歳代から80歳代の男女約24名(2016年11月現在)が年間を通じて計画的に実践。
 三河、美濃、鈴鹿の日帰り登山、岩登り、沢登り、山スキー、冬山以外にも夏山縦走も楽しむ。皆で誘い合い日本百名山、日本三百名山を目指す会員もいる。個人の志向でぎふ百山、信州百名山、富山百山、一等三角点のピークハントを目標にする会員もいる。
 例会は第1水曜日(都合で火曜日になることがある)に名古屋市中区生涯教育センターで夜7時から8時30分まで。会合は山行への参加を募る重要な場なのでなるだけ出席を。欠席者にはメール、郵便、ファクスで伝達。会報も年間4回発行。総会(事業報告、役員改選、会計報告、規約改正など)は4月に実施。
 イベントは1月の新年会(町)新入会員の入会に応じて新人歓迎会(山で)、年末は忘年山行(1泊2日)、登山、岩登りの初心者の指導練習も適宜練達者のリードで実施。
 会費年間3000円。入会金2000円。別途山岳共済保険加入のための岳連会費と保険料要。現在会員募集中。問合先090-4857-9130西山まで。メールフォームからもどうぞ。

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