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東海白樺山岳会ブログ

愛知県名古屋市にある山岳会です。仲間を募って山に登る会の運営、会員の登山記録、行事等の活動を発信しています。
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東三河・常寒山を歩く

 豊川にかかる弁天橋を渡って吉川の里を走る。吉川峠を越えるとゆったり下り、中山間地域の田園が広がる。しばらくで左へ上ると西竹ノ輪、さらに小さな乗り越しを越えると東竹ノ輪に着く。
 地形図の破線路はここから上がっているので登山口を探る。左に古い常寒山登山口の標柱が立っている。よく見ると(高塚山)と書いてあった。左折して行けるところまで行ったがPはないので戻る。公民館の前も空いているが集会でもあればと思うとはばかられる。乗り越しまで戻ると何と登山者向けの駐車場の看板があった。日吉神社の境内の一角である。7時40分からここに止めて歩き出す。
 さきほどマイカーで詰めまで走った。その先へ行くが新しい林道や堰堤工事の道の跡もあって迷う。地形図で人里からしばらくは谷を行き、尾根に乗り換える。そんな山道はないので堰堤を越えて進んだが踏み跡は一切ない。左岸側を探りながら下ってみた。すると2m幅の先ほどの林道と合流する。
 実は登ってみて分かったのは、破線路をなぞるように林道を作ったらしい。途中で左へ尾根を巻いてゆく山道と林道は幅を狭めて右へ行く。尾根を行くと再び林道に出た。左へは下ってゆくので右へ振った。すると平坦な林道は450m付近に着いた。ここに石仏が一体あった。いわゆる稜線に着いた。林道は左へ振って行くが、稜線の道も歩きやすいので山道を選んだ。結局山道と林道は常寒山へ平行してながら登ってゆく。林道と接する箇所は2か所あるのでどちらでも良い。
 山頂直下で下ってくる人にあった。大平(おおびら)の住民で、山上に紫蘭を植栽中で面倒を見るために毎日登山しているそうだ。寒いので育ちが遅いとか。紫蘭にも野生があるのか問うと栽培種だという。
 旧名の山名を問うと高塚山がもともとの名前で、『愛知の130山』で登山者がわっと来て、常寒山と知ったらしい。大昔、村に流行病で多数の人が死んでそれを慰霊するために山頂に祀ったという。人と別れて山頂の手前の鳥居に一礼して9時30分に登頂。なるほど紫蘭が20mほどの列で植栽中であった。まだつぼみで1週間後だろうか。
 山頂は平らで石仏が3体あるのみで三角点はない。展望もないので水を飲んで縦走路を行くことにした。467mまですぐだった。ここにはまた石の祠があった。吉川峠よりにあるが分かりにくい。縦走路は右へ直角に曲がってゆく。古い案内板を拾っておいた。この辺りは地形図でよくチエックしたいところだ。
 467mから南東尾根を下れば東竹ノ輪に下れる。405mからやや複雑な尾根をRFしてもPへダイレクトに下れる。吉川峠への尾根と確認すると防火帯の約3m幅の歩きやすいところを歩くことになる。踏み跡はないし、赤テープの類もない。但し、黄色の紐が切らずに伸ばしてあった。405mから南東へ振っても西竹ノ輪に下れたが、三角点312mへ真南に下った。三角点をチエック後は左へ南東にくだった。踏み跡は一切ないが下草がなく藪もないために歩きやすい。但し急斜面であった。バイク音が聞こえて県道の峠道が近いことが分かった。その音に引かれて下ると吉川峠の300m下の車道に出た。ここから峠を越え、日吉神社のPまで約30分歩いた。11時30分だった。
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[ 2019年04月20日 20:59 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河・船着山

新城市吉川の里へ走った。道路に「船着山へ」の案内板があり以降はそれにしたがうと無事に登山口に着いた。標高180mもあるので比高247mの登りである。
 登山口付近の道は以前は山畑だったのか、石垣が残る。何が植えてあったかは知らないが今は照葉樹の青い葉の木が育っている。南斜面なので蜜柑だろうか。
 山畑をぬうと直ぐに尾根に出て後は一本調子で登る。400m級の里山ゆえか全山隙間なく植林で展望は一切なく、雑木林すらもなく、草花も無い。早春の山らしさは見つからなかった。尾根を登りきると分岐を左折すると山頂へはすぐだった。登りは35分であった。山名の由来を書いた大きな看板がある。
 船着は”ふなつけ”と読む。昔は船着村があった。明治39年に日吉村と乗本村が合併してできた。村名は山に由来するから逆である。ウィキには「江戸時代、豊川の舟運の中継地として栄えた地域」とある。地形図の豊川右岸をよく見ると、中小河川が7本も流れ込んでいる。今は水田の記号だが水量の多かった時代即ち江戸時代は大きな水たまりではなかったか。少し下流には有名な桜渕、鰹渕、更に下流には西入船、東入船の地名も残る。 港に入港してきたその向きのまま着桟するのが入船。 対して、向きを変えて着けるのが出船である。 出船にするためには、船首の向きを変える、すなわち、回頭しなければならないため、入港作業に手間と時間がかかる。 入港、下船等を急ぐ場合には、入船が好ましいが、出港時に回頭しなければならないため、出港作業に手間と時間がかかる。逆に、出船にしておけば、直ぐに出港できるため、艦艇や警備用船舶には向いている。
 今では新城市の庁舎が立つ東入船ですが、昔は水上交通(船運)で栄えたのでしょう。信州往還への入り口でもあった。新城は別所街道、伊那街道、遠州街道の中継地点でした。塩のような重い物資は船で運んだのでしょう。
 三角点(点名:日吉村2)が妙に存在感がある。1月に登った南西の風切山356mの点名は日吉村1なので図らずも1,2と連続した。
 山頂は強い北風でとにかく寒かった。少し降りてテルモスの熱い白湯を飲んだ。常寒山往復は寒さと風景の味気無さにモチベーションを喪失して往路を下山した。不老長寿の泉とかにも寄ったが渇水期の今はしずく程度だった。下山後、沢で手を洗ったが、青っぽい板状節理が露頭していた。これは安山岩というから古い火山であろう。
[ 2019年03月02日 23:09 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

風切山下山

 西は大雪、東は快晴の気圧配置で、午後から新城市に用事があるので、午前中に登れる山を探すと風切山が見つかった。豊川ICから豊川左岸へ橋を渡ると吉祥山が聳える。昨年登ったので今度はその北にある風切山356mの山にした。どのルートも短いので浅間峠からにした。
 ところが現地を探ると峠へ行く道が分からない。地形図では地方道の印になっているが、最奥の民家の奥で未舗装になった。林道は狭く、Uターンが不安なので、北の登山口を探った。うろうろ走ると案内板があった。新城市老人福祉センターに行くとPに1台あった。センターは静かで誰もいないようだ。ここへ駐車。準備中に桜渕公園からという2人連れが来た。立岩観音の案内表示をおしえておいた。続いて、後を追った。
 センターの建物をぐるりと回り込むように登山道があった。フェンスはなくまたPからも来れた。展望台で先行者に追いついた。新城市街を俯瞰する良い場所だ。山道には石仏が3体から4体並び、短い間隔で続いて行く。そうか、信仰の山だったのか。
● 立岩お堂と八十八か所巡り
 そこからは追いつ追われつで登頂した。Pを10時に出発して45分だった。山頂は2等三角点が埋まる。但し、展望は南東は高い樹林が覆い、北西面に限る。本宮山の他、遠く豊橋平野も見える。
 下山中にはクラブツーリズムのパーティ20名余りとばったり行き違いになった。全国各地の名山だけでなく、こんな超低山の企画もあるんだ。あっという間に立岩観音に着いた。

 
[ 2019年01月27日 20:21 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

筈ケ岳下山届け

Kです。
今日三河の筈ケ岳へ、いつもの東海自然歩道ではなく、西からのコースで登って来ました。
殆ど人が歩いてなく、なかなか面白いコースでした。
先程、下山して帰宅しました。
[ 2018年11月26日 18:33 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

吉祥山無事下山

 豊川市金沢の交差点を通過、東名高速と交わる手前にAコースの登山口の道標がある。吉祥山ふれあいの森である。クルマは2台ほど。ログハウス風のトイレで用足しを済ます。となりのビジターセンター風の建物は休憩舎で愛好家のたまり場になっているようだ。
 8時37分に出発。周囲には多分鶏舎の廃屋があり異様な感じがする。登山道はすぐに樹林の道になる。一旦開けた尾根に着いてあとは尾根通しに坦々と歩く。時々、鶯が良い声音で啼く。山頂まであと??mという道標もある。雑木林の中に入ると風も吹きぬけて涼しい。
 追い越して行った空身の人が何か花の写真を撮影中である。黄色が鮮やかなキンランだった。
(カメラを忘れたのでブログ「山野草を巡るウォーキング」様にリンクしました。昨年の同時期の撮影。キンラン
 しばらくで大きな看板を兼ねた休憩所になった。山頂は近いが汗をかいたので小休止して水を飲む。いくらも登ることなく山頂だった。2Kmを約50分かかった。
 山頂は360度の大展望だった。冬ならば富士山も見えるらしい。今日はややガスがかかるが、三河本宮山、宇連山や三ッ瀬明神山が見えた。豊橋平野も見下ろす。低い割には展望が良い。
 山頂には岩の露頭があり説明板がある。「角閃石片岩」という。この希少な岩石ゆえに標高300m以上が愛知県自然環境保全地域に指定されている。
 下山は北に階段を延々下った。椎の大木の林立する鞍部に着くと道が3つに分岐している。よく整備された道を下るとまた分岐になる。分岐を示す看板には直進すると先程の鞍部に吉祥天女の祠があるという。それでまたこの道をたどると鞍部に戻った。
 山頂に居た男の人も下ってきて吉祥天女を拝んでいる。これが山名の由来の吉祥天女か。それにしても小さくて地味である。
 男性曰く以前は今水寺の奥の院として山頂に在ったらしくここに移されたとか。吉祥山の北西の八名井の中腹に神社マークがある。ここが今水寺跡らしい。廃寺なのになぜ神社なのか不思議だ。一度は訪ねてみたい。
 さて、吉祥天女の祠を拝んだ後は近道で元の遊歩道に戻り、Cコースをたどった。ここの山腹からは水が浸み出して小さな沢が流れている。低い山だが水は豊富な気がする。急な道をどんどん下ると作業小屋に着く。パスしていくと車道に出て登山口に着いた。休憩所への道標を見て、山の中へ入る細道を歩いた。ため池を横目に見ながら歩くとまた車道に出てひたすら車道を行くと休憩所である。朝とは打って変わってPは満車で車道にも路駐が多かった。一足違いで多くのハイカーが歩いているらしい。それだけ人気があるのだ。 N
小屋番の山日記
八名山地・吉祥山を歩く

[ 2018年04月21日 19:45 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

猿投山 豊田市北一色町の尾根から登る


 地形図に破線のない豊田市北一色町の尾根を踏破してみた。1本は最高点の632mから北東に伸びる尾根を登りにとった。もう1本は最高点と三角点の間にある630mのピークから北東に伸びる尾根を下った。
 北一色町へはR419から県道に左折。飯野川の手前で左折するとあとは1本道になる。奥深くまで走ると舗装が切れる。そこが終点になっているが、まだ未舗装の林道が二手に分かれる。
 8:04.標高300mの地点にクルマを止めて向って右(南西)へ歩きだす。5分で林道が分かれるが左へ進む。8:11.すぐの終点に山の神の石碑が建っている。ここから渡渉して尾根に取り付く。しばらくはジグザグの急登が続く。8:17.450mの等高線の尾根に着く。ここからは薄い踏み跡をたどる。枝道があるが尾根通しに登る。周囲は桧の植林であるが常緑樹が混じり日がささず若干薄暗い。8:40.我慢して登るうちに先回の分岐に着いた。直進すれば分岐で左折して最高点になる。
 今日は先回と反対に東尾根への巻道を歩いた。9:01.東尾根分岐に着く。左は東の宮の道標あり、東尾根を直進する。するとすぐに右へマーキングが目立つように見える。このルートが最高点への踏み跡だった。9:15登頂。下から約1時間強かかった。すぐに東の宮に下り、東海自然歩道を三角点に向う。地形図で630mの等高線の無名のピークに登る。良い踏み跡が続く。9:36.山頂にはベンチが設置されて展望台になっている。遠望は恵那山、左へ中ア、御嶽が並ぶらしい。
 踏み跡は北東へ細々と続き赤テープやペンキなどのマーキングに助けられて沢の右岸に下った。堰堤工事のための林道の廃道を下った。地形図には水線も実線も描かれていないが堰堤の記号はある。実線のある林道と交わると右折。しばらくで車止めだった。10:15だった。
[ 2018年03月18日 20:39 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

猿投山~広沢西尾根から最高点へ、車道を歩く

 広沢天神の傍の白梅が咲いて春を告げる。
 Pは朝8時5分に出発。慎ましい祠を左に見やりながら植林の道に入る。良く踏まれた山道であるので不安なく歩ける。里山にふさわしく微地形の尾根のアップダウンをくりかえす。有志らが整備したんだろう。小さなコブには巻道もついて丁寧なことだ。45分も歩いただろうか。三等三角点猿投2(加納山)309.4mに着いた。若干は見晴らしがある。ここからもやや細い尾根をくねくね曲がりアップダウンをくりかえす。周囲の植生は人工林からいつの間にか自然林に変わっていた。南向きの尾根にはシダ類が繁茂し、照葉樹林がびっしり生えている。冬でも緑緑している。但し、落葉樹の林と違い何も見通せない。落葉も肉厚である。滑落しないように踏みしめて歩く。
 標高が350m、400mとあがると植生がしっかりしてきた。日がささないから林床は地肌が見えている。尾根も太くなり、道幅も広がった。1台のマウンテンバイクとすれ違った。遠くからはモクロスバイクの爆音が聞こえてくる。松の木が増えたと思ったらちょっとしたピークに立った。この手前に右手に分かれる踏み跡もあったが、左へ振った。ピークからは左へ振った。踏み跡があるにはあるのだが踏まれていない。今までと突然違うので引き返し、ピークに立って真下に林道が見えた。先程の分岐で右へ振っても良いが直進して強引に林道に降り立った。林道を右へ戻ると踏み跡が尾根へ続いている。ようやくの想いで豊田市と瀬戸市の市界(尾三国境)に着いた。大きな鉄塔が立っている。しばらくで赤猿峠だった。
 マンサクの花が咲き、遅い春を告げている。
 ちょっと休んで最後の登りになった。さっきまでの道と違い、断然ハイカーが増えた。いつ来ても多い。山頂まで一気に登って昼食。また歩き出す。尾根への踏み跡があったので登ってみるとただのピークで見晴らしが良かった。なおも踏み跡が続いたが北一色に下るので山腹の踏み跡を東海自然歩道に戻った。最高点への正しい踏み跡をたどるとすぐに632mへ登った。先週の逆である。
 最高点からはすぐに東の宮に下った。せっかくなので参拝した。社殿の屋根を仰ぐと千木が交錯する。この千木は内削ぎであった。すなわち女神の意味である。本宮の猿投神社の主祭神はオオウスノミコト、景行天皇、垂仁天皇でみな男神である。謎が残る。
 東の宮を後にして自然観察路を下って西の宮に向った。杉の喬木もあって中々に自然が濃い。途中御舟石があり、かえる岩からの道が合流する。西の宮に着いた。この社殿の千木は外削ぎで男神である。オオウスノミコトは男性である。これは理解できた。長い急な石段を下ると車道であった。今日は武田道はパスして車道を下った。武田道とは武田信玄のつくった道???と誤解していたが武田王がいる。ヤマトタケルの皇子というが良く分からない。
 東の宮、西の宮はともに南西に位置する伊勢神宮の方向を向いているように建てられていると思った。その延長線上にアマテラスの胞を埋めたという恵那山がある。ほぼ一直線になる。
 広沢川は花崗岩の美しい沢だった。ただ魚影はない。魚のいない川は淋しいのでニジマスでも放流して欲しい。途中に武田道という大きな看板のある道標を見た。これが入り口らしい。長い林道を歩いてやっと広沢天神に戻った。約7時間超の長い山歩きを満喫した。
 
[ 2018年03月11日 23:55 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

猿投山~東尾根から武田道周回

 朝8時、猿投神社登山口の駐車場を出発。車道を若干歩いて猿投川の支流にかかる橋を渡って右折。しばらくで左の尾根へと導く目印を見て一歩を踏み出す。尾根は277mへ登り、小さなアップダウンをくりかえす。途中、春の鳥が盛んに鳴いた林があった。暖かいので鳥も勘違いしただろう。植生は若い桧の植林に下生えの照葉樹林が混じる。尾根は猿投川の左岸に沿いながら徐々に高度をあげる。360m付近で一旦車道に出てすぐにまた尾根に戻る。傾斜がきつくなり山道は左右に分かれる。左は東宮へ、右は最高点の直下で550mの等高線を巻くように続いている。最高点の北東尾根に達した。左右に赤い印があるが左折する。右折すると北東尾根を北一色へ下る。やがて三叉路に着く。北一色への標識が立つ。左折するとまもなくで最高点632mだった。10時30分だった。良い道が下っていくので見てみると屋根が見えたので東宮であろう。最高点からはもう1つ赤テープの踏み跡があった。これは藪がからみ行き先は不明であるが550m付近の巻道に合うだろう。
 最高点を踏んで三叉路に戻り左折。東海自然歩道に出た。一等三角点の山頂へ向かった。11時登頂。山は霞んで遠くは見えない。いつもの大勢のハイカーでにぎわっていた。小休止の後、水南沢へ5分の標識に従い下ってみた。確かに大岩から湧水があった。そこからの山道は沢で荒れていたが下流で右岸の良い道があった。モトクロスバイクのタイヤ痕があった。荒れ気味の山道をどんどん下って林道に着いた。林道からさらに広沢川の源流に沿う崩壊した林道に合流。血洗いの滝などを眺めながら三叉路に着いた。ここでもまだ11時45分。
 車道を登りながら西の宮の前を通る。今日は参拝をパス。少し登って武田道につながる山道を登った。風化花崗岩の道は崩れ気味である。一旦車道に降りてすぐに登り返す。ここからはほぼ1本道になる。たまたま同じ道を歩いていた人が精通者で城ヶ峰展望台を経て駐車場のすぐ近くの車道に下れた。東尾根の入り口もすぐで周回したことになった。14時過ぎにクルマに戻った。いい汗をかいた。花は東尾根で咲きかけの椿を一か所みただけ、武田道では蝶々を見た。早春の猿投山であった。

[ 2018年03月04日 21:55 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

猿投山から折平山一筆書き登山

 猿投山と折平山の2座を駆けて一度も同じルートを重ねないで歩く一筆書き登山を提案し2人で試みた。同じ所から2座以上を駆けて登り下りする周回登山、違う所へ下山する縦走、同じルートを歩く往復登山といろいろあるがちょっと離れた2座を駆ける場合はこれもありと思う。クルマは2台でゆく。戸越峠の下の林道入り口に1台をデポ。(1台なら徒歩で戻ることになる)

 小長曽陶器窯跡を出発。地形図を見ながら猿投山の頂上につながる尾根をたどりながら登る。踏み跡程度なのでRFが要る。藪こぎという場面はなく1時間30分程度で山頂手前5分のところの東海自然歩道に着いた。山頂で一服した後、戸越峠に下る北尾根に入る。豊田市と瀬戸市の境界でもある。ここも藪をこぐほどではないがやや荒れた山道になっている。問題は480mの独立標高点を過ぎてから峠への踏み跡のトレースだ。ここは崩壊花崗岩の痩せ尾根の続く危険領域であるから細心の注意で下った。過去に行方不明者の捜索で何度も通っていたから危ない所は承知であった。峠の印刷のあるピークに着いた。ここは左の踏み跡に振った。直線的に行くと県道33号線の擁壁があるからだ。あまり明瞭とは言えない踏み跡を追うと県道が見えて峠近くに下れた。
<折平山は地形図では無名の三角点があるだけの山である>

 県道を歩きながら折平山へのルートを探す。407mへ続く踏み跡はなく、東西に伸びる尾根の豊田市側を観察しながら歩いた。図星で尾根に登り口を見出した。尾根にさえ登ってしまえばあとは折平山へひたすら歩くだけだ。途中には捜索で歩いた記憶がある所もあった。送電鉄塔、610mのコブを踏んで折平山に着いた。猿投山と違って誰もいない静かな山頂だった。以前は無かった山名板も多数ぶら下がり結構登る人もいるようだ。折平に取り付いてから、寒気をともなう北風が吹き始めていた。春霙でも降りそうな空模様だった。山頂に長居はできないので少し下って休憩する。下山はほぼ南へ下る尾根を下った。中電の順視路だった。鉄塔を経て支線林道の入り口近くにすとんと下った。あとはクルマまで数百mを歩いて行くだけだ。

[ 2018年02月24日 20:57 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

静寂の風頭山から本宮山を歩く

12日にKさん、Sさんと、本宮山へ行きます。
(風頭山~本宮山~くらがり渓谷の周回コース、「愛知県の山」の本宮山のガイドどおり)気を付けて行って来ます。
風頭山から本宮山、くらがり渓谷への登山、予定どおり下山しました。
風が強い一日で、だれにも会わない、ロングランのコースでした。

[ 2017年12月13日 19:50 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河・五井山を歩く

4/30で予定していました石徹白・願教寺山 中止しました。
そのかわり
家族で三河湾を一望する五井山に出かけました。
取材山行であの展望を人にも見せたいと思い、
天候、家族の都合が着いたので急きょ前日に決定して出かけました。
国坂峠から舗装道路を歩いて行けると言う情報を取材時に出会った人から得ていたので
85歳のおふくろも行ければと決行したしだいですが娘も妻も参加で
私が一人で願教寺山に登るより価値のあった1日だったかもしれません。
国坂峠からは標高差250mゆっくり1時間半ぐらいで登り
あの素晴らしい展望を見せることが出来ました。
我々が着いてじきに登頂者が増えて誰しも楽しそうな山頂でした。
帰りはお茶で有名な西尾に寄って食事と甘いものをいただき帰ってまいりました。
五井山のおかげで良い時間をいただきました。
帰宅後連休後半の山に準備にあたりました。
山は素晴らしい!W
[ 2017年05月02日 00:24 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

奥三河・寧比曽岳を歩く

段戸山牧場から眺める寧比曽岳(右)

 NHKの「ゆる山GO]の録画撮りは段戸湖から始まった。27歳といううら若き舘谷春香キャスターをガイドするという役目でカメラに向かってなにやら台本も持たず台詞をしゃべる。道道歩きながらしゃべることになる。林道のゲートから先が裏谷原生林の領域になる。
 ゲートを入った途端、せせらぎの方に大きなカメラを抱えたバードウォッチャーさんが屯していた。ははん、多数の車は彼らだったのだ。なにやら小鳥の営巣地があるらしい。
 そこを離れて少し先で超望遠レンズを持ったバードウォッチャーに出会った。スタッフが声をかける。小鳥談義をする。見せてもらうと鮮明な小鳥の画像にびっくりする。おそらく何十万円もするだろう超望遠レンズで撮影するのだろう。
 五六橋で右折、トイレの場所から山道へ入る。いよいよ核心部である。せせらぎに沿う山道はこころを癒される。細道がせせらぎに下りているので水辺に近づいた。下見では魚影があったが今日は見えない。ササやぶ越しに若草が見えた。対岸に渡るとバイケイソウだった。流れが変わったので湿地帯になり、少数ながらバイケイソウの群落になったのだ。日光に映えて若草が美しい。
 せせらぎを後に、道々樹木の大きさに圧倒される。樹齢200年から300年ともいう。明治維新の50年前からの樹齢になる。下見の際は芽吹きも少なかったが1週間で森林は若やぐ感じになり、芽吹き、花も増えた。但し、シロモジかアブラチャンなのか図鑑なしでは同定出来ないのが残念。小鳥のコロニーでもあるのか鳴き声も盛んだ。いくらも標高差はなく900mから1000mまでゆったりとした歩みを楽しむ。これが愛知県随一の原生林である。大迫力の映像になったのではないか。
 菜畑峠の乗り越しで一服。今までは矢作川水系でここからは豊川水系になる。山腹を巻くように檜の植林帯の水平道を歩く。途中で林道と交差する。そこの枯れ枝の配置から道迷い防止への見知らぬ登山者同士の配慮について説明する。
 さらに進む。湧水は飲んでいいと説明。駒鳥に続いて筒鳥が聞こえてきた。やや小さいと音声さんが嘆く。富士見峠の鞍部に着いた。小休止後、中電反射板の建つ1140m峰へ最後の登りが始まる。以前はササをかき分けて登らされたが、刈り払いされて、明るい。比高200mもないのですぐ到着。トイレが更新された。中電反射板を見にゆく。休み場には御料局三角点があった。かつては皇室の御料林の名残だ。
 緩やかに下って少し登り返すと三角点の埋まる山頂である。ここでもカメラに向かって舘谷キャスターと並び登頂の喜びをしゃべる。録画はこれで完了。やっと終わった。
 今日は山頂からのパノラマも素晴らしい。御岳、恵那山、南アルプスの巨峰群、北に目を転じると山霞みの中にぼうーっと浮かんだのは名古屋駅前のビル群だった。舘谷さんも大喜びだった。大多賀峠に下山した。
[ 2017年04月28日 21:47 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

とり年に因み奥三河・白鳥山に登る!

 今年の干支は酉=とりです。そこで奥三河の白鳥山に登って来ました。7時過ぎ、名古屋から猿投グリーンロードを経て国道153号、稲武で県道80号に入り、面の木峠を越えると旧津具村です。幸いにも道路には雪もなくスムーズに山村に着きました。盆地ですから放射冷却が強く気温は零度以下です。田んぼは白っぽく霜の朝でした。上津具から見出を通過します。
 見出とは砂金を見出したことに由来すると古いガイド紀行を読んだことがある。古町には武田金山の廃鉱があり、選鉱の際にズリに含まれる金を見逃したのでしょう。ズリは川に流れ込み、鉱石が砕けて砂金が取り出された。下留はくだる、と読みます。白鳥山に登るには「くだる」から登ります、とジョークを飛ばす。
 登山口の白鳥神社は大島にあります。急坂を登ると行き止まりが神社でした。かなりの急な石段を登ると神社に軽く拝礼。右側に登山道の案内板があり、トイレもある。トイレの右には駐車場から来る登山道が続いています。9時40分、登山道を歩きはじめると二手に分かれます。左を行きます。植林内の急登の道です。左沢筋の山腹を攀じ登ると尾根の一端に着いた。山頂から西に伸びる尾根はここで南北に分かれている。平になった西尾根は右へ振る。しばらくは水晶の採掘跡の急な道を登る。平かになったと思うと山頂でした。断崖絶壁になっているので北面が開けています。
 山頂からの眺望は絶品でした。三角錐の雪の山が見えた。これは山容から聖岳と分かります。ほぼ北東に聳える。名古屋市中区に富士見町があり、江戸時代は富士山が見えたという話があった。現在では聖岳と断定されています。なるほど、富士山と見まがう美しい山容です。
 これさえ同定できれば後は左へ赤石岳が連なります。聖岳と赤石岳の間の顕著な山は兎岳になります。聖岳から右への連なりは上河内岳は白い他は真っ黒です。辛うじて黒法師岳の三角錐の山が同定できますがあとは分かりにくい。またとない寒日和で雪の南アルプスの山岳同定で至福の時を過ごしました。
 愛知県の最高峰の茶臼山もすぐそこに見えます。さきほど越えた天狗棚も至近距離に見えます。これだけ素晴らしい山なのに忘れられたような静寂に包まれています。山頂を去って、しばらくでまた同じような角度で聖岳を望見する断崖絶壁の一角に着きました。この山はテーブルマウンテンになっているのです。
 その後もぬたば池から奥へ進むとやはり断崖絶壁の展望台がありました。目前の山は大峠です。展望に倦むと高く伸びた桧の植林内を下り始めました。段々急な下り道が続いて、ついに山腹の九十九折れの山道を歩いています。間もなくで往きの山道に合流しました。9時40分に出発して約2時間ほどの軽いハイキングでした。
 車に戻り、面の木峠まで走ります。途中、ちらっと形の良い山が見えました。知生山です。古町高山に似ています。
 碁盤石山の山腹の九十九折れを登りきると面の木峠です。ここで昼食というわけです。北西に真っ白な山が見えるので何だろう、と井山へ車道を走りました。井山は以前の牧場から風力発電所へと変貌しました。森林はないので眺めが非常に良い。北西の山は文字通り白山でした。右には御嶽山が頭だけ見えます。黒っぽい恵那山、恩田大川入山が見えます。奥矢作の山々の眺めが欲しいままです。途中に休憩所があるのでそこで昼食にしました。
 帰路は茶臼山高原道路を名倉に下りました。地物野菜の販売所で若干の買い物をしてからまた国道153号を戻りました。本年初の登山は干支の山を楽しみました。
[ 2017年01月08日 00:58 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河・葦毛湿原から神石山、石巻山縦走

           豊橋市 県道31号・乗小路トンネルの開通の意義
7時過ぎ出発。行く先は葦毛湿原だ。豊川ICからR151,R362,県道31と走る。県道31はバイパスができたらしい。そっちへ流れていくので付いてゆく。乗小路トンネルが今年3月に開通して多米町へすっと抜ける。ということは葦毛湿原へも早くなったわけだ。県道31から県道4へ左折、多米峠に向かう。豊橋市民俗資料室収蔵室の辺りに葦毛湿原の道標があり右折。田園の中を突き抜けて山に当たると右折、そのまま行くと葦毛湿原の駐車場に着いた。第一駐車場はガラガラだが、入り口のある第二駐車場は満杯状態だ。時に9時30分である。
 湿原への歩道を行く。湿原への入り口で今日は右の木道を歩いて見た。そして、NHK二川中継所の案内に導かれて木道を終点まで登る。名も知らぬ小花が咲いている。低灌木に覆われた山道を登ると明るい桧林になる。途中で右へ急登する分かれ道があるが道標はない。そのまま歩いてゆくと小沢を渡り、すぐに湿原からの道に合流した。次々とハイカーに出会う。一息峠をパス。緑濃い照葉樹林の道は快適だ。豊橋自然歩道へ突き上げる階段道を登る。いわば稜線に着いた。涼しい風が通り抜けて行くが休むと蚊が多いことに気が付いてすぐに歩く。
                 豊橋自然歩道から神石山へ
 二川中継所まではちょっとした登りがある。樹林から解放されて豊橋平野、湖西が良く見渡せる。悪いと思った天気が晴れ間も出て良くなった。一息で中継所に着いた。以前は見晴が良かったが立木が成長して見晴は良くない。中継所を後にして神石山に向かう。小さなアップダウンを繰り返す。舟形山、普門寺峠まで快調に飛ばす。ハイカーがどんどん登ってくる。前後するハイカーも居て、銀座さながらである。神石山までの急登に耐えて11時50分、登頂すると大勢のハイカーが休んでいた。ここで私もおにぎりを食べた。昔は航空灯台だったという1等三角点の山であるが豊橋方面は見えない。静岡県側では湖西連峰というごとく浜名湖が俯瞰できる。
                   オカトラノオの咲く山道を石巻山へ
 昼食後は石巻山に向かって出発。いくつもの小さなコブのアップダウンを繰り返しながら多米峠に着いた。ここにもハイカーが休んでいたので話をすると地元の岩田のから来たという。多米自然歩道を下れば県道4号に降りる。 先へ急ごう。先ほどから白い小花の花を見る。サラシナショウマかと思いきやオカトラノオだった。ところどころに群生している。ササユリは萎れていた。
 多米峠からの登りは長くちょっときつい。しかし、すぐに赤岩自然歩道分岐に着いた。左へ行けば多米町の交差点に出て葦毛湿原に戻れる。豊橋自然歩道は右へ急旋回してゆく。下ったり登ったりを繰り返すとようやく石巻の名前のある道標を見出す。最初は早過ぎてパス、2回目の分岐は高圧鉄塔の高みから左へ行くがパス。結局、大知波峠まで下った。ここは草地で廃寺跡の石碑と案内板が建っている。浜名湖もよく見える良い休み場だ。
 峠に戻ると長彦自然歩道の道標の上に石巻観光道路の道標が付いている。左には林道のように広い山道が通じているので下る。右カーブで豊橋自然歩道の分岐があるが意味不明なので道路をそのまま下る。下りきったところに鉄柵がある。石巻山からの林道(石巻観光道路)と合流した。
 そのまま歩くとまた石巻山へ登り返す感じで歩く。石巻神社の鳥居前で石巻観光道路は終わり、石巻自然歩道支線になって車道まで下っていく。ここで15時50分だった。
               乗小路トンネルをくぐると多米町だった
 車道は山裾に沿って下り、登り返して住宅地を抜ける。県道31に近づいたところで県道に行く。そのまま歩くと乗小路トンネルに着いた。16時20分、ここまでで約30分、トンネルの右の歩道を歩く。630m歩くと多米町である。県道4号の交差点を左折。多米町の信号の交差点で16時50分。車道歩き1時間経過。ここを右折して田園地帯を歩き、「エムズ」という美容院を左折、2つ目の交差点を右折してすぐに葦毛湿原の駐車場に着いた。17時10分だった。
 80分なので平地歩行は時速4kmとすると5.5km位あったかな。昨夜飲んだビールは山の中で汗になった。山で飲んだ水で汗だくになって車に戻った。着替えて帰名。体重は若干減ったが、膝痛は黄信号が出た。
[ 2016年07月03日 06:38 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河・本宮山・・・くらがり渓谷から風頭山への尾根を下る

                       くらがり溪谷を歩く
 午前6時50分に着いたが、駐車場の開場は午前9時からになる。待っても居れないので、鍵はないのでチェーンを外して入った。7時過ぎに静寂のくらがり渓谷を歩きはじめる。といっても山上まで車道の通過できる林道歩きである。渓相はうっそうとした樹木が日光を遮って文字通りくらがりである。
 地形図には漢字で「闇苅溪谷」とある。本宮山の三角点近くまで水線で突き上げるもっとも正統な溪谷である。源流部の楓橋には闇苅沢とあった。豊川市の宝川は砥鹿神社付近で消える。新城市側の境川も砥鹿神社で終わる。旧作手村も巴川(ともえがわ)の源流が突き上げるが傾斜が緩いので水線は表現されていない。くらがり渓谷は下流で男川(おとがわ)となり、乙川(おとがわ)に合流する。
 苅という字は草を刈ることに限定した国字という。槍ヶ岳山荘の創業者の穂苅三寿雄など信州系の地名や氏名と見る。谷は関西、沢は関東と言うから、闇苅沢の名称は関東か信州の影響下にあるだろう。
                      馬の背平へ
 さて、くらがり山荘を過ぎると人工的な施設は廃墟然とした一ぜん飯屋の東屋で終わる。これまでも景勝地にはそれぞれらしい名称を与えているが淵も滝も奇岩も中途半端な気がする。あえて名前を与えてまでハイカーの気を引くまでもない。圧倒するような滝もなく、吸い込まれそうな深淵もない。くらがり八景と称してまぼろしの滝に着いたがスケールが小さ過ぎだ。微笑ましいというべきか。
 林道を延々登ると前方が開けて来た。何と源流部は皆伐されている。楓橋を渡ると本流は左へと山頂に突き上げる。裏参道は急坂を喘いで馬の背平に着いた。セメントで固めた参道を登る。転がりそうなほど急な坂道を登りきると国見岩の赤い鳥居の階段道の中途に着いた。ふるさと公園の一角に着いたわけだ。
                     本宮山の地形図の疑問
 地形図には岡崎市と豊川市の境界を挟んで、ふるさと公園から実線が豊川市側に連続して下っている。これがどうも階段道である。ところが国見岩と岩戸神社の記号がない。名勝地はドットを三点配する記号であるがここにないので実線が何を意味するか不明である。国土地理院の記号には石段がある。鳳来寺山はちゃんと石段の記号になっている。やはり大己貴命を祀るのだから国見岩(岩戸神社)の名称を入れ、破線路で表現するべきだ。もう1本細目の実線は女道のことだろう。
 鳥居から中段まで下ると左へ踏み跡があるので辿ると地形図の池に遭遇する。これは地形図のダム記号で表現されている。錦鯉が泳いでいる。ゆるやかに尾根を乗り越すとまた沢をまたぐ。すぐに林道らしい道に出る。直進すると奥宮である。
 右へ緩やかに下る。うっそうとした社叢林が静寂境を作り出している。小鳥の鳴き声が盛んである。やがて東屋(地形図の林道がV字の底の部分)に着いたが緑の落葉樹が茂って下界は部分的にしか見下ろせない。休んでいる人に聞くとできたばかりの頃はよく見えたらしい。ここまでは1.5mから3m以内の実線で表現するのは妥当だ。少しづつ細くなって、急カーブする先を下って本宮山林道に降り立つ。この部分は1、5mもないので破線路であろう。結局本宮山林道は国見岩への登り口が終点だった。 地形図の実線のつながりは実際にはない。地形図というものは想像の産物でしかない。
 多分、小型重機で遊歩道を開削する際に傾斜の緩いところまでとして、急なところの階段道は人手で道づくりをしたのではないか。 池からの分岐まで登り返す。奥宮にも参拝した。また戻る。林道ならぬ遊歩道は水芭蕉園(旧スケート場)まで続くが今日は山頂はパス。
                    風頭山へ下る
 さて、国見岩を経て、馬の背平まで戻る。平からは電波塔記号のある690mのピークまで車道を登った。施設は今は利用されず廃墟然としている。金網柵の右から回り込んで尾根に出る。地形図では破線路になっているが踏み跡は一切ない。赤や黄色のテープで登山者の痕跡が分かる程度だ。ただし、樹林の日影になるせいでこの時期でも下草はほとんどない。右は桧の林、左は常緑樹などの雑木林になる。
 腐葉土の柔らかい感触を感じながら下る。最初の鞍部で河原町へ下る分岐になる。ここまで来ると両側とも桧の美林になり、尾根の幅一杯は防火帯のような広さの道ともいえないが道のように歩ける。 そして小さ目の宮標石が埋まる。闇苅国有林の看板もある。
 ここから600m以上のピークを数えること9座も越える。破線路は662mまであるが大日山651m三角点へも迷うことなく行ける。時々倒木はあるが行く手を失うことはない。道標はないが、赤テープのマーキングが随所にある。600mに3m足りない風頭山に着いた。馬の背平10:40から約2時間40分かかって13:20に登頂。ここで初めてパン1個を食う。暑いせいでおにぎりは入りそうにない。岩場に降りて本宮山を眺める。はるばる来たぜ、と思う距離感がある。下り坂の山旅であるがほとんど下らない。起点の690mから100m前後の比高しかなく、距離を稼ぐから健脚向きである。
 踏み跡を辿ると25分で林道に出、更に杉林を30分下ると登山口の車道に着いた。徒歩20分で千万町口のバス停に着く。15時20分の名鉄バスでくらがり渓谷に戻った。1日2本のバスなので山頂を往復していたら乗れなかったかも知れない。歩けば1時間強だがバスなら210円かかるが6分ほどだ。岡崎東ICから新東名を経て帰名。
[ 2016年06月19日 20:25 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

奥三河・宇連山

 7時、天白を出発し、新東名から新城ICで降りる。これで3回目の利用である。約72kmあった。更にR151、R257を20km走り、四谷千枚田を目指す。高速を出るとコンビニが一軒もないことにあわてたが、ブッポウウォールの見えるコンビニで昼食とコーヒーを買う。
 新城ICから約20kmあった。仏坂トンネルのPに着いた。3台止まっている。9時15分、支度して出発する。峠道は途中崩壊箇所があって、臨時の金属製の桟橋が掛けられていた。そこ以外は依然と変わらず歩ける。15分ほどで峠に着く。よく手入れされた杉の高木が林立する。人工林も手入れされれば美しいものである。峠には文字通り石仏が安置されたり、役行者様が祀ってある。
 小休止することもなく、宇連山へ延々と続く尾根の登りに入る。東海自然歩道であるが、道幅は普通の登山道である。ハイカーが愛知県の山間部を踏破するのは難儀なことであろう。登り始めは尾根を忠実に辿らず、山腹を巻いてゆく。それを繰り返すとベンチのある休み場に着く。ここからはほぼ尾根筋の厳しい登りになる。小さなアップダウンを繰り返しながら841mを越えて下ると海老峠に着いた。小休止する。 フタリシズカが可憐な花を咲かせる。遠くから近くから「テッペンカケタカ」と聞こえてきた。 ホトトギスである。長い旅を終えて今頃は日本の山で休むこともなく営巣するのだろう。
 さて、再び山道を歩く。海老峠でやっと半分のところである。歩いても歩いても高くはならず、展望も得られないから忍耐が要る。高くなるどころか838mを越えると逆に下り気味となる。一旦は750mまで下げた後、山頂に向かって高まってゆく。右手が明るい。宇連山の西半分が伐採中で、林道も延伸されてきた。正確には宇連山の三角点の西に伸びる尾根と東海自然歩道(破線路)の交差するところから北部は皆伐のために道が影響を受けている。
 かつて、清水沢右又を遡行してこの辺りに着いた。そんなことを考えているうちに12時に山頂へ着いた。今日は曇り空で明神山も今一さえない。山頂に居た若い男たちはすべて県民の森側へ下って行った。すると仏坂のPの車は鞍掛山への登山者だったことになる。
 山頂でゆっくり休んだ後往路を戻った。帰路は四谷千枚田を通過したがマイカーは減っていた。R257、R420を経て足助でR153になる。県道58で帰名する。

本書のような青田になるのは7月から8月初旬とのことです。

清水沢右俣の記録
参考図書:日本登山体系9「南アルプス」の中の北遠・奥三河の山に収録
私が購入したのは1982年の箱入りの初版でした。あれから1997年に新装復刊が出た。2015年に普及版が出版されている。価格も60%程度で高価ななりに買いやすくなった。鈴鹿、奥美濃 はそれぞれ沢登りのガイドが出ているが、中央アルプス、奥三河はまとまった形の本はないだけに今でも貴重である。息の長いロングセラーになっているのもうなずける。
以下は新装版で2015年から普旧版を刊行中である。南アルプス版も普及版で出版されている。

日本登山体系 普及版 南アルプス
中央アルプスは


[ 2016年06月05日 10:39 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河・本宮山 幸田新三河線鉄塔NO49の巡視路を巡る

 5/28は宝川源流を詰めて表参道を下山した。その際、荒沢川を渡る橋の手前にマイカーを停めた。新東名がまるでダムの堰堤のようになって、宝川の谷間を塞いでいる場所だ。宝川が荒沢川と分かれる付近の鉄塔巡視路を目にした。その下には必ず巡視路があり登山道として利用できると考えた。
 6/2は早出したが高速代をケチって県道56、R1を走った。平日なので渋滞で動かなかった。豊川市上長山町の最奥の登山口を出発したのは10時になった。マイカーは前と同じ場所に停める。荒沢川の橋を渡るとすぐに分岐で直進は宝川源流へ、と額田三河線NO38と幸田新三河線の巡視路NO49の案内標が立っている左へ行く。しばらく林道を歩くと宝川を渡渉する。対岸は植林のよく踏まれた山道になった。また幸田新三河線NO49へ導かれて登ってゆく。小さな沢を渡ると山腹の右を歩く。急登したと思うと額田三河線NO38の鉄塔に着いた。一面草地になっている。踏み跡をたどると左から高地池からの巡視路と合流。すぐ先に鉄塔NO49が建っている。振り返ると本宮山が間近に迫る。どんどん行くとまた巡視路の分岐になる。これはNO48へ、とある。これも高地池からのルートになる。さらに先でちょっと踏み跡が薄くなるが赤テープに導かれて進む。下草がシダで覆われた植林内を歩くと常緑樹の雑木林との境になる。ここで踏み跡は左へ角度を変えて登ってゆく。ジグザグのカーブが丸くなり、掘りの深い道形はかつては馬が歩いたと思われた。前方が明るくなると鉄塔だがNO表示はない。多分NO36.そこは広々とした眺めの良い広場になっていたので小休止した。吉祥山が高圧電線の向こうに見える。豊橋平野の扇のような広がりも見渡せる。道はがぜん良くなり、次の鉄塔NO35へ行く。雑木林をくぐったり、鉄塔付近は芒の草地になったり変化する。鉄塔を過ぎると手入れされた桧の林の中を急登する。本宮山と西蔵の分岐は篤志家のテープで示してある。右へ行く。△500mのコブは左へ乗り越す。最低鞍部からやや道が荒れている。△490mのコブを巻きながら歩く。尾根の中央に立つと反対方向には枯れ枝を重ねてあった。巻き道へ行けという印である。△570mで独立標高点558mのコブも頂上へ登らず右へ山腹を巻く。鞍部から両側とも植林の中の風景は変わらず、我慢を強いられる。宝川西尾根の合流する地点まではちょっとしたアルバイトがある。合流地には赤テープが四方にある。尾根伝いに左折すれば風頭山からの尾根と合う。電波塔のピークになる。右は宝川へ下るが地形図の破線路は生きているかは不明。地形図にない直進の道は一旦沢に下る。宝川源流の左側の源頭である。緩く登り返すと馬の背平に着く。ここには道標が立つ。
 馬の背は電波塔のピークと本宮山との鞍部になっていて650m。荒れたセメントの道を比高110mで山上の園地に着く。頂上はカットして国見岩まで下る。先回見落とした岩戸神社に女道から参拝し、戻って男道を下る。鎖場の多い険しい道だ。鎖の三叉路から左へ行くと宝川源流と林道分岐になる。今回は本宮山林道へ下った。国見岩は地形図では豊川市側に突き出た約50mほどの実線であるがどうも階段道を表現している。地形図の謎は一つ解消した。
 照葉樹の落ち葉で大変滑りやすいが距離はない。林道を下ってゆくと山上園地へ登る階段道の登山口があった。これは実線で描かれているが山道であった。地形図の謎の2つ目も解消した。表参道と合流するが膝が痛むので林道を辿る。37分でまた合流する。309m三角点から林道を辿る。10分ほどで上空の高圧電線の下に来た。注意深く見ると幸田新三河巡視路N50の案内標があるので林道から山道へ下る。余り歩かれていないので落ち葉はふかふかしている。すぐに鉄塔50に着いた。そこから左折する。案内標に再びNO49を見出す。ここは地形図の三叉路の箇所だ。途中に役行者様が祀ってある。階段を下ると新東名の側道に降り立つ。左はまた本宮山林道に戻るので右へ行く。すぐに新東名のトンネルに着く。左はトンネルをくぐって上長山町の村に行くが、マイカーのデポへは右の林道のような広く平坦な山道を行く。するとしばらくでNO49の案内標があり、左の林内へ地形図にない山道を下る。降りた地点は荒沢川の橋の近くでマイカーもすぐのところだった。地形図の謎の3つ目も解消。15時13分。休憩を含めて5時間強の登山でした。

[ 2016年06月02日 22:16 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

東三河の名峰・宝川源流から本宮山に登る

 5月28日(土)豊川ICからR151を左折して県道21へ。宝円寺のシダレサクラの案内板で新東名のトンネルに向かう。くぐると林道が続くが、未舗装になった辺りでUターンして駐車。
 9時30分林道を歩き出す。延々と続く林道だがところどころには道標もあって確認できる安心感がある。勾配が急になった先で終点。右岸へ木の橋が渡してある。滑りやすい板に注意しながら対岸にわたる。ここも結構広く林道の残存かと思われる。しかし、いよいよ沢に近づくと山道になる。
 岩をからむ道を行くと前方に滝が見える。また左岸へ渡渉する。滝は左岸から巻き、右の山側から落ちてくる沢を注意しながら渡渉する。勾配はますます急になった。ちょっとした480mの平らな休み場に着いた。国見岩まであと0.5kmとある。炭焼き窯の跡がしっかり残っている。
 ここから右の源流の音を聞きながら登ってゆく。かなりの勾配である。木の階段でステップを踏みやすく整備されているから安心である。そして、鎖場の連続するもっとも勾配の急な斜面をよじ登る。鎖は最初は2本で終わった。落石に注意しながら登ってゆくとまた鎖が現れた。大きな岩を直登するコースと迂回するコースに分かれたので迂回する方向に振った。その先にも道標が立っている。右は本宮山林道へのエスケープルート。左は国見岩へと分岐する。その先でも鎖場をしのぎながら行くと鎖の三叉路になった。さっきの直登コースが上がってきたところだ。上から下山してきたので譲ると直登コースを下る。聞くと下に岩戸神社があるという。それなら見逃すわけにはいかないと迂回コースを下って直登コースに上がるとなるほど岩の間に何か祀ってあり、水が出ている。ちょっと拝んでから直登の鎖をつかんで攀じ登る。左へ急斜面を登ってゆくと国見岩に着いた。
 短いながら手ごたえ十分のルートであった。ひょっとすると、昔は「たからがわ」ではなく、「ほうかわ、ほのかわ」などと呼ばれていたんではないか、と思った。「宝=ほう」は「穂=ほ)の当て字である。今は豊川市になったが昔は「穂の国」といい、宝飯郡一宮町といった。
 国見岩岩戸神社直下の水の一滴(ひとしずく)がまさに源流というわけで、農業を豊かにする信仰があったと思う。ガイドによればこの岩の下部に岩戸神社があると説明されている。さっきのは岩戸神社じゃなかったのか。 赤い鳥居をくぐって山頂直下の広場に着く。更に奥宮順拝路へ行くと山頂へ左折して橋を渡る。12時ジャストで山頂だった。
 老杉の林立する奥宮を経由して表参道を下ると多くの登山者とすれ違った。さすがはメインルートだけはある。大杉の林立する厳かな雰囲気を味わいながらくだった。途中に水場は2箇所あり、登りでも下りでも水筒の要らない山だなと思う。そのせいか、砥鹿神社境内の自販機は100円だった。
 基本的に展望のない尾根の一本調子の登り下りになる。それに飽きさせない工夫かどうかは知らないが、山姥の足跡、蛙岩、梯子岩、馬の背岩などの仕掛けをしてあった。
 ウォーキングセンター(W・C)に着いて、マイカーデポ地まで行く。素戔嗚神社を経て宝円寺を見て歩く。農婦としばし世間話する。本宮山松源院の話も聞く。更に歩くと新東名も見えてきた。やれやれだ。W・Cから約40分だった。宝円寺でも和尚さんと世間話する。本宮の湯で汗を流した。名古屋に着いてもまだ明るい。夏至が近づいてきたなと思う。

破線路通りの道ではなく、2つの沢の間の尾根を登る。砥鹿の文字がある本宮山林道の支線と国見岩直下とは山道でつながっているようだ。
[ 2016年05月31日 17:25 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)

五井山,鷲ヶ岳

五井山は無事下山しました。西山
詳報は早春の宮路山から五井山を歩く

こんばんは。北100山です。
鷲ケ岳下山し、今帰りました。
登山道が雪の下で分からなく、トレースが無くて、
頂上直下は雪の壁にかなり苦労しました。
好転に恵まれ、頂上は素晴らしい展望でした。
報告します。

薙刀・野伏ヶ岳 山スキーは参加者の事情で中止しました。
また、皆さんと出かけられればと思っています。 渡邊 泰夫
[ 2014年03月09日 20:23 ] 愛知県の山 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

東海白樺山岳会

Author:東海白樺山岳会
 1962(昭和37)年に名古屋市交通局の有志数名が設立。その後一般社会人の親睦の登山クラブとして継承されてきた。40歳代から80歳代の男女約24名(2016年11月現在)が年間を通じて計画的に実践。
 三河、美濃、鈴鹿の日帰り登山、岩登り、沢登り、山スキー、冬山以外にも夏山縦走も楽しむ。皆で誘い合い日本百名山、日本三百名山を目指す会員もいる。個人の志向でぎふ百山、信州百名山、富山百山、一等三角点のピークハントを目標にする会員もいる。
 例会は第1水曜日(都合で火曜日になることがある)に名古屋市中区生涯教育センターで夜7時から8時30分まで。会合は山行への参加を募る重要な場なのでなるだけ出席を。欠席者にはメール、郵便、ファクスで伝達。会報も年間4回発行。総会(事業報告、役員改選、会計報告、規約改正など)は4月に実施。
 イベントは1月の新年会(町)新入会員の入会に応じて新人歓迎会(山で)、年末は忘年山行(1泊2日)、登山、岩登りの初心者の指導練習も適宜練達者のリードで実施。
 会費年間3000円。入会金2000円。別途山岳共済保険加入のための岳連会費と保険料要。現在会員募集中。問合先090-4857-9130西山まで。メールフォームからもどうぞ。

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