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東海白樺山岳会ブログ

愛知県名古屋市にある山岳会です。仲間を募って山に登る会の運営、会員の登山記録、行事等の活動を発信しています。
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新刊『タ―プの張り方火の熾し方 私の道具と野外生活技術』 ヤマケイ文庫

2018年7月刊行。著者は沢登りで、ヤマケイや岳人、釣り雑誌に多数の寄稿をして有名な高桑信一。
タイトルには沢登りと謳っていないが、基本的には沢登りの本である。
そのジャンルの中の道具に特化して、43の項目にわたって著者の蘊蓄が傾けられている。
そんなハウツーなら知っているよ、と思うこともあるが、沢の入門書には形式的に列挙してあるだけのことも多い。
単に沢を登るだけでなく書ける人なんだと思う。しかも沢歴が長い。
必ずしも新しい装備を紹介しているわけではなく、古い装備でも大切に工夫して利用する。
しかも調達先は登山道具店だけではなく、ホームセンターからも見つけて紹介する。
そんな所に高桑信一のやり方考え方を叩き台にして沢を楽しんでください、というメッセージが伝わってくる。
高桑信一の哲学とはプラグマティズム。哲学とは知ることを愛するという意味。
本書にはそんな著者の実践的な沢の道具のプラグマティズムを読みとりたい。
道具の使い方揃え方に人となり、経験の濃さが現れている。
ハウツウだけなら山の雑誌の新製品紹介を参考にすればよい。

第四章「溪から溪へ」は秀逸なエッセイを3本を置いてある。
1 「おじさんたちの夏東北の秀渓にて」は若かりし頃へのノスタルジアである。
2 「秋の浦和浪漫OB山行」は沢登りの拠点としていた山岳会へのレクイエムか。
3 「昔の溪から今の溪」は著者の真骨頂。
日本の伝統的な登山家としての立ち位置の表明だ。
写真が多いが、実は名うての写真家としても知られている。
著者にとって、沢登りは創造であった。フィールドワークの対象になった。
そして沢登りを遡行と置き換えた。
沢登りは「より険しい未知」を求めるアルピニズムに隷属という。つまりアルピニズム以下であるということ。
 ここまで読んで見ると、高桑信一は田部重治につらなる登山家になったのだと思う。
田部重治『山と渓谷』の中の「遡行の喜び」の一節にかさなるからだ。
沢登りを文学にした冠松次郎、田部重治につらなる1人。
   
・・・古来、旅の記録を残して文学となった例がある。
1菅江真澄(1754~1829)は愛知県豊橋市の武士。28歳で故郷を出て、東北を旅し、菅江真澄遊覧記を残した。平凡社ライブラリーに収録されている。76歳の時、秋田県角館で没した。旅がフィールドワークになった。
2真澄遊覧記を読んだ柳田国男は農林官僚で詩人だったが、後に有名な『遠野物語』を私家版で出版。反響を呼んだ。旅から得られる見聞と知見を文に発表、柳田学と言われた。日本民俗学になった。旅は学問だと書く。
以上の例をみても秋田県出身の高桑信一が直接間接に影響を受けていることはまちがいないだろう。『山の仕事 山の暮らし』は立派な山村民俗の一書である。遡行で訪れる山村の人々のフィールドワークである。


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[ 2019年02月16日 10:19 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

新刊『定本 黒部の山賊 アルプスの怪』 ヤマケイ文庫



   
・・・・特に定本になった本はよく売れたようです。アマゾンのコメント90件は山岳書としては多い。
定本になって畦地梅太郎の版画の表紙を変えています。しかし文庫化にあたっては初版の表紙にもどされました。

 著者の伊藤正一(1923~2016)さんは三俣小屋の利権を林野庁と争っていた記憶しかなかった。本書を読んで、松本深志高校卒(旧制)で物理学者を目指していたこと、日本勤労者山岳連盟の創立者であることも知った。
 社会の仕組みをよく知っていて、権力にただ盲従、服従しない点は岩波茂雄と同郷の人だけはあると思った。信州人は反骨の精神が強い。したがって左翼のシンパになったり、日本共産党の支援もあったかに思われる。

 今度の読書で何でこんなに面白く読めたのか。山を始めた当初は折立から太郎平を経て黒部五郎岳へ縦走、折立から薬師岳を経て立山へ縦走、薬師岳往復くらいしか山歴はなかった。鷲羽岳は遠い山であった。
 本書に書いてあるような黒部源流に奥深く入ったのは2009年の盆休みに雲の平を経て読売新道を歩いたことだ。同年の9月には上の廊下を突破した。2010年8月には赤木沢を遡行、2013年の8月にはついに黒部源流を遡行する。
2009年9月 黒部川-上の廊下
2013年8月 黒部の山旅
 そして三俣山荘に宿泊した。この時はすでに同書が置いてあり販売もしていたように記憶するが、購入にまでは至らなかった。伊藤さんは2016年に死去されたからこの年はまだ存命だったことになる。
 要するに雲の平に象徴するような別天地を知ったら黒部の魅力は忘れえないものになる。伊藤さんは黒部の語り部たらんと本書を著したのだ。非日常の世界を平易な文章でわれわれ都会人に知らしめた。
 そうか、柳田國男の『遠野物語』『山の人生』も怪異な話だった。黒部源流に人生を送った山男・山賊らの物語なのである。
[ 2019年02月14日 17:35 ] 山岳名著 | TB(0) | CM(0)

唯川恵『バッグをザックに持ち替えて』

この私が山登りなんて 『バッグをザックに持ち替えて』著者新刊エッセイ 唯川恵
この私が山登りなんて
[レビュアー] 唯川恵(作家)

 軽井沢に移り住んで十五年が過ぎようとしている。

 きっかけは犬を飼ったこと。それがスイス原産のセントバーナード犬で、東京の暑さに耐えられなくなったのだ。もちろん、犬舎側からは「大丈夫です」と太鼓判をもらっていたが、実際はまったく違っていた。五月ごろから十月まで、ほぼクーラーは付けっぱなしになった。電気代がべらぼうにかかるのは仕方ないにしても、散歩に出られないのはかわいそうだ。セントバーナード犬は、平均寿命が七歳ほどと言われている。それで移住を決めたのだ。

 軽井沢からは、浅間山が美しく眺められる。稜線は町を包み込むかのように優雅なラインを描いている。当時は眺めるだけだった。けれども移住して七年後、犬が逝ってしまうと、想像以上の喪失感に見舞われた。そんな時、誘われて浅間山に登った。とにかくきつくて、その時は「二度と登らない」と決心したのだが、下りてくると、どういうわけかまた登りたくなった。

 この仕事をするようになってから、運動とは縁のない生活をしてきた。それでも二度、三度と登るうちに、いつしか山に魅了されていった。

 それから八ヶ岳や北アルプス、富士山、谷川岳などにも足を伸ばし始めた。思いがけず、エベレスト街道を歩くチャンスにも恵まれた。高山病に苦しめられながらも、何とか標高五千メートルをクリアすることができたのは幸運だった。

 ちょうど、私は小説家としてこれからどう生きてゆけばいいのか、迷っている時期でもあった。山に登ることで、せせこましいことばかりに追い詰められている自分を解放できたように思う。

 山は楽しいだけではない。山で知ったルール、怖かった出来事、辛かったり、腹を立てたり、思い知らされたり。本書はそんなあれこれを綴ったエッセイ集です。

バッグをザックに持ち替えて 唯川恵 著
[レビュアー] 市毛良枝(俳優)

◆「登ってみたい」背中そっと押す
 登山家の故・田部井淳子(たべいじゅんこ)さんをモデルにした長編小説『淳子のてっぺん』(幻冬舎)を書いた著者が、自分の山をどう語るのかが楽しみで、ページをめくる。

 いきなり愛犬との出合いがつづられる。きっかけは犬…。いったい、どういう山の話…? 

 そう、「山にはまりました」と胸を張りながら、実はなかなか山には行かない。「行きたい」でも「無理かも」。行けば楽しい。なのにぐすぐす言いたい自分もいる。

 そんな思いが繰り返し交差し、ゆっくりと変わっていく著者の心境が描かれていく。どうも、あっという間に山岳乙女に変貌していくエッセーとは一味違うようだ。

 やがて、一念発起、用具をそろえる。そうそう、そうでなければ。しかし、ぐずぐずしているようでいて、山への思いは意外にも熱い。いつの間にか、名だたる山に登っては、しっかりキャリアを重ね、とうとうエベレスト街道の五千メートル峰にまで向かう。

 そこでも山屋(やまや)と呼ばれる人種とは一線を画し、山頂だけが山ではないと無理はしない。そんな程の良さもほほえましく、山に惹(ひ)かれて集う仲間とともにどんどん山にはまりこんでいく描写は、さすが、山好きの心をくすぐるに十分である。

 山は夫婦間にも影響を与え、尊敬を込めて「リーダー」と呼ぶ夫の「山では最悪の事態を想定して、最良の準備をして行け」というアドバイスにも抜かりなく触れる。

 重ねた経験には無駄がない。山はやっぱり素晴らしい。

 気負うことなく山の楽しさを語る著者の言葉は、「山なんて…」と思い、「登ってみたいけど無理!」としりごみする、山を知らない人たちの背中もそっと押す。

 ぐずぐずしたっていい、頂上めざさなくたっていい、いろんな登り方がある。あなたはあなたのやり方でと、すべての読者に普遍的な夢も与える。
(光文社・1296円)
 
・・・・田部井淳子といえば女性で世界初のエベレストの登頂者である。NHKラジオの講演を聞くと、エベレスト登山こそ至宝という内容であった。私にはちょっと辟易させられる人物のようである。ある若い人にエベレストに登りなさい、と勧めると、僕は登りません、いやあなたはエベレストが恐いんだ、という攻撃的な性格だったようだ。登山に対する価値観は自由である。価値観を強制するものではない。
 日本と言う国はノーベル賞を受賞すると、受賞の理由となった専門分野以外の何でも信用されて、権威になるごとく、女性のエベレスト初登頂も権威になってしまったのだ。戦前の槇有恒のアイガ-日本人初登攀、戦後のマナスル初登頂、等など、みな権威になり、上から目線になった。
 講演料は一回150万円というから立派な名士扱いである。ハンディの多い女性がどう跳ねのけて登頂を成し遂げたのか、多くの一般人には興味深いことであろう。晩年は人寄せパンダよろしく、旅行会社のリーダー役で海外登山に随行する話も読んだ。それだけ同性の登山者に好かれていたのだろう。
 女性には優秀な人ほど、今に見て居れと言う、プライドがある。
 人生を世渡りする上では男も女もないのだが、なぜか、リベラルの風潮のせいか、女性の肩を持つと囃されるのである。
 昔はイプセンの人形の家のノラ、戦後はガラスの天井の謂いである。著者の唯川さんは直木賞作家というから人間を描くプロである。どんな田部井像に造形されたのか興味津津である。
[ 2018年08月04日 12:48 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

祝!山と溪谷 2018年8月号 創刊1000号記念特別号

山と溪谷 2018年8月号 創刊1000号記念特別号
巻頭特別グラフ
皇太子さまの山岳写真
日本山岳会員であり、日本山岳写真協会の特別会員である皇太子さまがお撮りになった「素顔の山」を、
本誌1000号の特別巻頭グラフとして全14ページにわたり掲載。

特集:決定版!日本登山ルート100選
日本にはすばらしい山が多数あり、その頂に至るルートはバラエティーに富んでいます。『山と溪谷』創刊1000号を記念する本特集では、山そのものだけではなく登山ルートに目を向けた、日本を代表する100ルートを選出しました。選出方法として、全国を7つのエリアに分け、それぞれのエリアを熟知した人たちによる選考委員会での合議という形をとりました。
また、特別紀行として湊かなえ(作家)による立山・剱岳ルポ、樋口明雄(作家)による屋久島宮之浦岳ルポなども掲載しています。

北海道10選:知床連山縦走、表大雪縦走、雨竜沼湿原~南暑寒岳など
東北10選:朝日連峰縦走、堀内沢~羽後朝日岳(沢登り)など
関東・中部25選:尾瀬沼~見晴~山ノ鼻、火打山~妙高山、八丈富士~三原山など
日本アルプス25選:剱沢~池ノ平~仙人池、裏銀座縦走、荒川三山~赤石岳など
関西10選:伊吹山正面登山道、大台ヶ原大杉谷コースなど
中国・四国10選:三瓶山周回、剣山~次郎笈など
九州10選:国東半島峯道ロングトレイル、ワク塚~大崩山~坊主尾根など

第二特集:山と溪谷1000号の歩み
1930年(昭和5年)に創刊した『山と溪谷』は、2018年8月号で通巻1000号を迎えました。
1000号におよぶバックナンバーをひもときながら、日本の登山史を振り返ります。

特別寄稿:私と山と溪谷

1000号記念特別別冊付録:登山用語小辞典
山と登山に関わる基本用語2000語を収録!
※本『登山用語小辞典』は紙版のみの付録です。kindle版/電子版には付録がありません。

1000号記念読者プレゼント
応募者の中から抽選で1000名様に 山と溪谷オリジナル深型チタンシェラカップをプレゼント!
※1000号記念オリジナルチタン製シェラカッププレゼントは、 雑誌の綴じ込みハガキでの応募とさせていただきます。
電子版からの応募はできませんのでご了承ください。
・・・・私が保存している「山と渓谷」誌のバックナンバーの一番古いのはNO137です。表紙は神崎川の大瀞で飾られた。自然の造形美です。紙質が悪く小型版ですが、執筆者の熱気が伝わる内容があります。1000号の歩みは読んで見るとして、編集者、読者の愚直な支えがあればこそ継続してきたんですね。
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所属の俳句結社誌の「辛夷」も最近1100号を達成した。創刊は1924年でした。1000号超は全国で10誌のみという。「山と渓谷」誌は1930年の創刊になります。ともに戦中戦後をはさんで息の長い誌齢を重ねています。今に至るまでにライバルの商業誌が登場しては消えて行きました。ヤマケイは初心者向けの編集方針を貫いたからでしょう。内容を高級化、特殊化すると読者層が薄くなり営業的に成り立たなくなる。
 バックナンバーで好きな時代は昭和30年代以前です。当時は登山者が寄稿者であり、読者でもあった。相方向の参加型が好まれたと思います。登山のジャンルが細分化され、ヒマラヤ遠征志向、日本百名山志向などに分化すると編集も総花的になるのはやむを得ない。
 創刊号信条には「最近に至りまして本邦登山界の急激な飛躍的発展は実に目覚ましいものです、然し、その発展過程の裏面には常に真面目な登山者群の実践的研鑽が不断に積れて来ていた事を認めねばなりません。

然し遺憾な事は、それ等の登山者群が発表機関をたった一つしか持っていないか、又は全然何も持ち合わせていなかった事です、例えば、何々大学山岳部、又は何々山岳会の機関誌は、それ等の山岳部や山岳会の機関誌として、その陣営に立てこもっている人々のみの発表機関だったに過ぎません、なお、我々は世に何んの発表機関を持ち合わせていない為めに、お互いに研究仕合わねばならぬ多くの事柄をそのままお互いに見過ごしてしまっている事実を遺憾とします、総らゆる立場に立った「山岳専門雑誌」出でよ!は我々の多年痛感して来た事柄です。

本誌は象牙の塔に立てこもっている各山岳部及山岳会の優秀なる人々の文献を一つの誌上に包括し、且つ発表機関を持ち合わせぬ多くの真面目な人々の研鑽を包含してしまう事に依って本誌の大きな特色とする所です。以下略」とあります。ヤマケイが紙面を提供して、真摯な登山者を育てる役目を担っていたのです。

[ 2018年07月29日 09:38 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

新刊 川端守・東紀州10マウンテンの会『東紀州の山々』

三重)東紀州18年間山歩き紀行文まとめ出版 尾鷲
 尾鷲市の元高校教師で県立熊野古道センター長の川端守さん(77)が、東紀州地域周辺の山を歩いた紀行文をまとめた「東紀州の山々 〈東紀州10マウンテンの会〉18年の記録」(風媒社)を出版した。

 会は1999年5月に体験イベントの一環として開かれた便石山(尾鷲市)山行を機会に発足、川端さんが会長に就いた。会則や会員登録はなく、毎月の山歩き参加者50~60人程度に川端さんが紀行文を書いて郵送した。1回でも参加した百数十人に毎年4月、年間の山行計画も郵送した。18年間の延べ参加者は8600人に上る。

 行く山は、尾鷲市や熊野市から日帰りが原則。当初は東紀州地域の代表的な10山の選定を目指したが、3年目から年十数回の山行に趣旨を変えた。必ず下見し、草刈りなどをしてコースを整備した。約20人のボランティアスタッフで運営してきたが、60代後半から80歳近くに高齢化したために3月31日での解散を決め、出版を思い立った。
 本は、「尾鷲市・紀北町」「熊野市・南牟婁郡」「大台山系」など地域別の6章構成。山登りだけでなく、地域の歴史や文化に触れることを心がけた。地元の人もほとんど登っていない三浦山(紀北町)や、作家吉川英治も林道を車で越えた熊野古道の矢の川(こ)峠(尾鷲市)が印象深かったという。

 紀行文は2010年の熊野古道小辺路を題材にした本に次いで2冊目。川端さんは「地元から見える山を登り尽くしたかった。眺めると、一つ一つの山の思い出がよみがえる。18年間に大きな事故がなかったのが一番良かった」と振り返る。

 B5判316ページで2千円(税別)。500部発行。県内主要書店で購入できる。問い合わせは川端さん(0597・22・3597)へ。(岡本真幸)

尾鷲 東紀州の山紀行 日帰り登山会が随想集 103カ所18年間の記録 三重
尾鷲】三重県の東紀州地域を中心に日帰り登山をする「東紀州10マウンテンの会」は、18年間の記録をまとめた随想集「東紀州の山々」を4月1日から全国で発売する。会長の川端守さん(77)は「昔からある生活道や道標、お地蔵さんなど地域の歴史や文化を知ってもらえたら」と話す。

同会は平成11年に発足。当初は尾鷲、熊野両市を代表する10山を登っていたが、1年に10山登ることを目標に変えた。これまで約130山登り、延べ8600人が参加した。

随想集は川端さんが山行ごとに登山の感想や記録を書いて参加者に送った紀行文や、集合写真などを掲載している。

103カ所の山行を「尾鷲市・紀北町」「熊野市・南牟婁郡」「奥伊勢」「新宮・古座川」「大峰山系」「大台山系」と6分野に分けて紹介。表紙は熊野市紀和町入鹿地区で発生した朝霧「風伝おろし」を撮影した写真を使った。

会は高齢化などを理由に本の出版をもって解散する。川端さんは「解散は寂しいが、山に限らず皆でわいわいできる場をつくりたい」と話した。

500部発行。販売価格は2千円(税別)。問い合わせは川端さん=電話0597(22)3597=へ。


書店にない場合は風媒社のHPへアクセス
風媒社

小屋番の山日記
恵贈 川端守・東紀州10マウンテンの会『東紀州の山々』
東海白樺山岳会ブログから
古ヶ丸山と天狗倉山を歩く
[ 2018年04月10日 15:51 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

山と溪谷 2018年3月号「もう悩まない! 膝痛と歩き方」「快適に歩く登山のテーピング」

 膝痛は登山者の高齢化にともない増えているのだろう。山と溪谷 2018年3月号は「もう悩まない! 膝痛と歩き方」を特集した。実は2015年4月号特集「登山者の悩み みんなの膝痛解決します! 」、山と溪谷 2017年3月号 「悩めるヒザ、予防と対策」と読者の要望に応えた。2016年2月号でも【特集】「総点検! 山の"カラダ"」 一生、登山を続けるために。自分の体を知り、体力をつけよう。」と総合的な特集をしている。それだけ肉体的な悩みが寄せられているのだろう。単行本でも膝痛の本が出ている。

 人間は多種多様なので個人差が大きい。決め手はない。個人的な体験であることをお断りした上で、上記の特集や書籍を参考にして、膝痛完治の参考にして欲しい。
 まず過去を振り返ると、沢登りで岩から岩へ飛んでいたのが膝に負荷をかける原因になったと思う。しかもザックを背負う。加齢にともない体重増もあった。当然50歳代から膝痛はあった。当時は2~3日で痛みは引いた。それでも残る際は市販の経皮鎮痛消炎を購入して貼付した。痛みはとれた。それが2015年(65歳)くらいまでには一過性の痛みではなく、常時痛みがあるようになり、外科医で電気マッサージ等のリハビリを受診したが軽減しなかった。2016年(66歳)では地下鉄駅の階段の下降が困難になってきた。それでも暖かくなると少しは軽減した。2017年(67歳)の1月にリョウシンJV錠が効くと先輩の勧めで服用を開始。大腿筋の鍛錬を思いつき、2017年6月から3日に1回、往復5kmくらいから自転車乗りを開始した。往復15km、往復20kmと距離を伸ばした。ただ乗るだけでは飽きるので、丘陵地の200m以下の三角点にタッチする目的を加えて変化をつけた。
 するとなんと3ヶ月ほどで膝に回復の兆し が見え始めたのだ。経皮鎮痛消炎剤の注意書きには「消炎鎮痛剤による治療は原因療法ではなく、対症療法で. あることに留意すること。 」とある。血液の流れを止めて冷やしていた。根本治療ではなかったのだ。
 それで9月から今まで月に2~3回は山行を実施。段々に自信が回復してきた段階である。もう10時間登り下りしても翌日少し痛みがある程度まで回復を実感した。登りには支障はない。下りが多少不安がある。先週は厳寒の中でテントを張った。その際、患部の右ひざが血が通っていない感覚を覚えた。まだ血流が回復しきっていないと思う。安易に習慣的に消炎剤を続けてきた結果、細胞が壊れてしまったのだろうか。リョウシンJV錠はビタミンB系とEを含むビタミン剤である。これが代謝を促して血流が回復し軟骨が再生してきたのか。ここは医学の領域である。肉を食べるにしてもしょうがやにんにくを入れて食べる。そのことで吸収されやすくなるという。様々な試みを経て回復をしてきた。
 整理すると
1 膝に負荷のかかる歩き方を止める(ヤマケイに掲載されている)
2 ザックの軽量化に務める
3 体重増に注意する
4 食事はたんぱく質、ビタミンB系、ミネラルを中心にバランスよく食べる
5 膝にかかる負荷の少ない自転車乗りで大腿筋の維持を考える
6 すでに膝痛の人はリョウシンJV錠を試してみる
7 経皮鎮痛消炎剤は医師の処方でのみ利用する。常用しない。
追記

本書も膝痛の緩和と治癒に役立つ知識が詰まっている。
目次には膝痛の文字はないが、
P100の見出し「腰痛・肩こりにはたっぷりのビタミン」には筋肉についての知見が書いてある。関節痛には筋肉の強化と維持が欠かせないのである。
P110の見出し「関節炎・骨粗鬆症には、カルシュームよりもまずタンパク質」に変形性関節症についての記述がある。素人考えではまずカルシューム(コラーゲン、グルコサミン、コンドロイチン)の補給を考えがちであるが、著者はタンパク質の不足という。

結局登山を長く続けてきたが、特別に筋力トレーニングを積んできたわけではない。だから加齢にともない、筋力が衰えると膝に負担がかかるのであろう。原因は老化ということ。今までに試行錯誤しながら得たのは高齢者は普段のトレーニングの大切なことと食事の重要性を再認識した。しかもP241の見出し「スポーツで体が若返る」のウソを読むとむやみに頑張るのも考えものだと理解した。
最後になったが、著者の三石巌氏は1901年生れで1997年1月に死去されている。それでもこの本は売れ続けて16万部と帯封にある。一度は読んでおいて損はない。しかも死ぬ直前の2週間まえまで雪山でスキーを楽しんだらしい。真の意味で生涯現役を貫いたことになる。話は変わるが、105歳で亡くなった三浦敬三氏も寝る前に倒れるまで屈伸運動をしたそうだ。スキーは確かに屈伸運動の連続である。つまりささやかでも筋力トレーニングを続けることが元気で長生きの秘訣らしい。
[ 2018年02月22日 20:12 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

浅田次郎『神坐す山の物語』

 浅田次郎。双葉文庫。2017.12.17刊。単行本は2014年に双葉社から刊行。
帯封には”いにしえの神気を漂わせる山を舞台に描く「純然たる日本」の世界。短い文章の中に大きな世界を封じ込めた日本文学の傑作”と謳う。

 東京都の御嶽山が舞台。母が御師の娘だったせいで昔話を聞かされて育ったという。それを浅田流の怪異な小説に仕立てた。言わば母が語り部であり、浅田が書き手になった。遠野物語も原作(種本)があり柳田国男が文語文で著した。
 大衆小説の第一人者の浅田次郎がなぜこんな小説を、と思うが山岳書の世界で怪異な物語本がロングセラーになっていることが影響しているかに思う。例えば山と渓谷社の『山怪 山人が語る不思議な話』は増刷に増刷を重ねている。続編も刊行された。続けて『定本 黒部の山賊 アルプスの怪』も復刊された。
 本書もその流れに乗ったのだと思う。
 私も小学生の時代、住んでいた小さな農村では狐憑きにあって山へ逃げ込んだ人がいて、火事で鳴らす半鐘を叩いて村人を集めて夜中に山狩り(捜索)がされたことがいまでも記憶の底にある。あるいは2つ3つ年下の近所の男の子が神隠しに遭いこれも大騒動することがあった。山は怖いところだという印象をその時分に叩きこまれたのである。 
 今でも単独行で山中で相手も1人というときは緊張する。女性だと尚さらに警戒心が働く。山をひとりで彷徨う人間ほど怖いものはない。
 さて、過去の日記か報告書のような平易な文体である。登山でもいつしか迷い易い平を歩いていて、とんでもない道に入ることがあって引き返して確かめることがある。だから気をつけていないと何が書いてあるのか脈絡がとれなくなる気分である。それでまた丁寧に虚実の分かれ目をたどるように読み直すことがしばしばであった。
 中でも「兵隊宿」は傑作であろう。東京都の山奥から遥かなる中国大陸の日露戦争の戦場へと導かれる。知ったが終いなのでそれは読んでのお楽しみである。
 御師部落とは山の神に仕える神官のことで、その神官の村。東海地方では岐阜県白鳥町の石徹白が知られる。全戸神官で名字帯刀が許されたという。白山への登拝を代わりにする代参をしたという。


類書
[ 2018年01月08日 22:15 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

先人に学ぶ・・・真の登山者への道

 リーダー研修として座学を担当したことがあった。依頼されてから考えたテーマは「先人に学ぶ」ということである。昨今は登山歴の長いベテランリーダーでも遭難事故を起こすことからかねてから考えていたことをまとめるためにも引き受けた。
 主に登山家で生物学者の今西錦司の著書から引用した要点をもって金言とした。
①本当の登山家とは山のことをよく知っている人であり、それゆえ登山家になろうと思えばまず山を知ることから始めなければならぬ。山登りなどは普通の体があれば誰にだってできることで、特に難しい登山術などという術を修練しなければならぬほどのものでもなく、むしろ登山家の間に山の登り方があるとすれば、それは山を知ることに寄って自ずから体得されるところの、山登りの一種の礼儀作法のようなものではなかろうかとさえ、私は考えるのである。中略
 そして経験者といえども、都会生活を送るものが、わずかの暇を盗んで得たぐらいの経験はどうせ大したものではない。われわれは山に対してはいつになっても初心者であるという謙虚な気持ちを常にもっていたいものである。(今西錦司「山への作法」から)


②道がない場合も、あっても迷い易い場合も、藪や滝や岩場の記号があっても目的とするところを完登できる力があれば本物の自然は喜んで迎えてくれる。(西尾寿一「鈴鹿の山と谷」から)
 西尾寿一氏は『渓谷3』の前書きに「修練というのはおそろしいもので、30才から40才、あるいは50才の人が若い登山者とそれほど差のないはげしい登山をこなしている例をよく見る。
 これは若い自分から長年続けてきた経験の積み重ねを貯金として、この貯金を全部引き出さないでもちつづけてきたからにほかならない。登山をまったく行わない同年代の人には到底まねのできない芸当である。」 とも書いている。
 つまり山に全力で立ち向かってはいけないのだ。突破する力も技術もないと悟った際に撤退できる余裕をもつことであろう。年を経れば若い時にはできたこともできなくなる。年相応に対応する知恵を持ちたい。

③出来るだけ先輩と接して見、聞き、そして学ぶことになる。結局は会を仲介として、個人的関係に依存することになるから、教えを受けようとするものの積極的な意欲がなければ成績を勝ち取るわけにはいかぬ。(岳人No126「山岳会」特集の跡部昌三「入会ということ」から)
 跡部昌三氏は名古屋山岳会の創立者。中部地方の山岳界の指導者でもあった。近年ではプロの登山家、登山教室、登山学校、登山講習会といった形で学ぶ機会もあるが学びたい人は山岳会に入会してみて先輩について指導を受ける心得を説いている。今日では封建的とはいえるが重要な方法である。
 封建的とはいえ、会長や指導者と言えども会費は平等に支払う。規約の上では対等である。無償で教えてもらうということは得難いことであろう。御在所の藤内の壁でプロのレッスンを受けると半日で15000円と促聞する。1年分の会費以上の対価を払う。やっぱり、登山の実践を通じて覚えればいい。
 山岳会には①親睦を目的とした会、②冬山と岩登りに特化して活動をする会、③沢登り、山スキーに特化した会、④その他がある。①の親睦の会だと岩登り、冬山などの技術を授かる会員が居ないことがある。しかし、活動領域を縛られずにすむ。オールラウンドにやれる。②③④はそれぞれ熟達者がいて技術指導をうけられる可能性は高い。活動領域を限定することがあるから自由にはやれない。一長一短がある。

④会として成り立っている以上、その行くべき道がある。その一つとして完全な(真の)登山者への育成の問題がある。(登山靴を履いての)岩登りはその技術は登山の技術のエッセンスのように考えられるし、そこに登山の真髄を見出す。従って好むと好まざるとに関わらずある一定のところまでは必ずやってもらわなくてはならぬ。(『山』の跡部昌三「岩登りの目的」から)
 今西錦司の(『山岳省察』ー山・登山・登山者の相互関係) 言葉には「一般登山なるものがはたしてこのようにいわゆるスポーツ的、技術的登山と対立的なものであったかどうか。日本アルプスの開拓者はおそらく岩登りを求めて山へ行ったのではあるまい。しかし、小島(烏水=日本山岳会初代会長))さんが霞沢を越えて上高地に入り、槍や穂高に登ったときのことを考えると、これを俳諧趣味とか、低山趣味的登山とかいってすましておれるだろうか。木暮さんや冠さんが辛酸を舐めて黒部の秘密を探った、ああいう登山を静的登山と称しうるだろうか。中略。しかし遠心的、浪漫的な開拓者たちといえどもかならずしも岩を避け、雪を恐れていたのではない。かれらにとって未知の山岳の不安が大きければ大きいほど、その心は高鳴り、そのためには障壁のいよいよ高く、裂谷のいよいよ深きをつねに求めていたであろう。中略。登山中岩に出くわして岩に登ればそれがすなわち岩登りである。だから一般登山の側に立って考えれば、あえて静的、動的の区別などはなく、いわゆるスポーツ的技術登山もその一つの一表現として、もともとその中に胚胎され、包含されていたので、異端視する必要などさらにない」とある。
 跡部さんも今西さんも岩登りとは垂直の岩壁を登攀するばかりが目的ではないというのだ。その通りである。

以上のことを経験をまじえながら1時間ほど話した。
 遭難事故が報道されると必ずや海外遠征の経験のあるベテラン、登山歴20年の熟練者などの形容で語られる。それでも事故を起こした事実は完全な真の登山者ではなかったことになる。常に初心者であると思いなさい、という言葉には重みがある。
 山に住む人は雲の動き、肌に感じる湿気や気温、風の動きなどをいやおうなく毎日観察している。それゆえこれからどうなる、という予測も可能になる。遊びで山に行く人には到底及ばないわけである。 真の登山者への道は永遠ということである。
[ 2018年01月05日 00:42 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

新刊!分県登山ガイド『愛知県の山』

 東海白樺山岳会の会員が多数取材執筆に参画しています。執筆者8名中6名が会員です。8名中4名は旧版からひきつづき担当してもらいました。新たな4名が加わりました。旧版では11名が分担しましたが退会、死去、高齢化で入れ代りを余儀なくされました。
 2005年の旧版から12年経過し、再度取材して内容を改めました。採用する山座数を減らして主要山岳のバリエーションコースのガイドを増やしています。ページ数は減っていません。これまで登った山でも別のルートから、季節を違えて登りたい向きには便利になったと思います。
 交通アクセスは新東名が開通して奥三河の山々の利便性が増しています。特に県外からの登山者には便利になったと思います。
 6月23日から書店の店頭に並んでいると思います。一度は手にとってご覧ください。
 旧版にも増して愛用されるように祈ります。

[ 2017年06月24日 10:53 ] ガイドブック | TB(0) | CM(0)

加藤幸彦『絶対に死なないー最強の登山家の生き方』に学ぶ

 山岳遭難が年々増加するばかりだ。さきのGWでは27人も死んでいる。去る5/20の日本山岳会東海支部の総会でも、高橋支部長はあらゆるスポーツでこんなにも死人が多いのはおかしい、と断じた。まったくその通りである。だが、その防止策となると的確な方策はないに等しい。結局は素直に過去の先人に学ぶことになる。

 剣岳で名古屋山岳会の会員が三の窓で遭難死されたことをきっかけに考えてみた。より困難をとアルピ二ズムを実践する立派な山岳会であるがこのところ事故が多すぎる。大先輩の加藤幸彦が活躍していたころはこんなにも事故はなかった。彼の著作を読み返してみた。何度も読み返すも教訓的な言葉を引き出すのは難しかった。何度目かを読んだ際にP36の小見出し「臆病さが万全の策を呼ぶ」というのが目についた。
 ある登攀で指を凍傷でやられた。この凍傷に懲りて万全の凍傷防止策を講じた。他人からは「臆病者」と笑われたそうだ。P38の文を引こう。

 命ある限り、失敗は貴重な経験として次の機会に生かされる。しかし、「失敗に懲りる」という深い痛手を負わなければ、次もまた同じ失敗を繰り返さないとも限らない。慎重さの裏には臆病さが存在する。経験を積めば積むほど臆病になる。その臆病さが常に最悪の事態を想定し、万全の対策を練り上げるのだ。

 「危険は回避すべきものであり、困難は克服すべきもの」。これは私が幾多の登山経験から学んだ教訓である。ところが、体力の限界に達すると両者の区別がつきにくくなる。しかも危険な場所は一見たやすそうに見えるから要注意だ。疲労で頭がぼんやりすると判断はあいまいになり、体は楽な方へと流れたくなる。

他人に笑われても、臆病者であれ、と自分に言い聞かせていた。笑っていた人は凍傷になったそうだ。

加藤幸彦は1933年生まれ、2011年7月死去。享年78歳。



臆病であること。そして危険は回避すべきもの、困難は克服すべきもの。至ってシンプルだが真実であろう。すると、名古屋山岳会の創立者の跡部昌三の言葉につがるではないか。
「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
 「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
[ 2017年05月23日 23:40 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

日本の山には「何か」がいる!・・・続く『山怪』ブーム

ソース:日本の山には「何か」がいる!・・・続く『山怪』ブーム
 山にまつわる不思議な話や体験談を集めた『 山怪 さんかい 』(山と渓谷社)が注目されている。刊行から約1年半で9万部を超えるなど、この種の出版物としては異例のベストセラーになっている。1月中旬には続編の『山怪  弐 に 』が出され、すでに3刷、3万5000部に達している。著者は、30年以上にわたって秋田の 阿仁 あに マタギなど各地の猟師を追い続けてきたフリーカメラマンの田中康弘さん(58)。なぜ『山怪』が受けているのか。出版の経緯を著者に聞くとともに、広く受け入れられている理由などを探った。

雪の中に突然姿を現し、消えた「夜店」

 今から40年ほど前、秋田県・旧阿仁町打当内うっとうない(現・北秋田市)に住む泉健太郎さんが中学生の頃の話。クラブ活動で遅くなった泉さんは、学校からの帰路、打当内へと曲がる辻つじに差しかかった。その辻の辺りは、昔から狐きつねの住処すみかと言い伝えられている鬱蒼うっそうとした場所だった。

 ある冬の日、いつものようにとっぷりと日が暮れて暗くなった帰り道。雪明りだけが頼りの寒い日だった。いつものように辻に近づく。

 「本当にあそこは怖かったもんなあ、暗くてよ。でもあの日は、そこさ曲がって、ぱって前見て驚いたんだぁ」

 泉少年が見たものは明るい光の列だった。

 「いやあ、明るくてな。見たら夜店が出てるんだぁ。靴屋とか玩具屋とか五、六軒あったんじゃないかなあ。あれぇ、今日はお祭の日だったかなあって、しばらくその店を眺めてたんだぁ」

 雪の中に突然姿を現した明るい店に見とれていると、その光が急に消えた。まるでいきなり停電にでもなったかのようだった。

 「えっ?」

 泉少年が呆気あっけにとられる。そこにはいつものように暗い雪景色が広がっているだけだった。

(『山怪』収録の「楽しい夜店」から)
 「山怪」とは、山の怪異のこと。狐や狸たぬきに化かされた話、神隠し、臨死体験、人魂ひとだまや狐火、大蛇の目撃談などが『山怪』には53話、続編の『山怪 弐』では78話にまとめられている。副題は「山人が語る不思議な話」で、猟師や林業関係者、民宿経営者、修験者など、山に暮らす人々から取材した。多彩な怪異譚たんが集められていることから、「現代版遠野物語」とも呼ばれる。
中略
名著『黒部の山賊』復刊もきっかけに

 山と渓谷社の編集者で、現在、同社主幹を務める勝峰富雄さん(51)との出会いも大きかった。勝峰さんは、2014年3月に“復刊”した『定本 黒部の山賊』の担当編集者だった。同書は、知る人ぞ知る山岳書の名著だが、自費出版のため、それまでは著者の伊藤正一さんが経営に携わる山小屋でしか買えない“幻の本”だった。

 この本の副題は「アルプスの怪」で、北アルプスの戦後間もない登山黎明期に、黒部の源流部で跋扈する「山賊たち」と「山の怪異」を描いた記録。『山怪』は一部、『黒部の山賊』に通じるものがあった。別の企画を一緒に進めていた田中さんから、「実は、こんな原稿を書いている」と相談され、書きかけの原稿を読んだ瞬間、「これはいける」と直感したという。

 『山怪』の読者層には女性も多く、中高年の男性を中心にして、幅広く受け入れられている。多くの人に読まれている理由について、田中さんは「まったく分からない。ただ、人は不思議なもの、怖いものにひかれる。怖がらせようとは意識していないが、これまでとは違った味付けの本になっているため、受けたのではないか」。勝峰さんは「日本は山国であり、闇がある。都会で暮らしてはいても、地方出身の人は子どもの頃、そんな闇を経験している。この本で、そのときの恐ろしかった感覚を思い出すのかもしれない。文章が作為的ではなく、自然なのも良かったのでは」と指摘する。

 ベストセラーの理由について、狩猟文化と山村の現状にくわしい田口洋美・東北芸術工科大学教授は「震災や災害などが続き、自然の怖さ、自然の不思議さに興味を持つ人が多いのではないか。体験談を集めたものなので、リアリティーがある。『遠野物語』が出たときの驚きと同じように、都会に暮らす人たちに受けているのかもしれない」と語っている。

 柳田国男が『遠野物語』の序文に、「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と書いてから100年余り。日本の山は今も変わらず、われわれ“平地人”を驚かせる怪異譚に満ちている。

引用以上。以下はソースにアクセス。
   

私も田舎生まれの田舎育ちなので子供時分から怪異な話は聞いたことがある。長じて登山をやるようになり柳田国男の著作に親しみ、講談社に『柳田國男全集』の刊行希望を出したこともあった。実際に筑摩書房から発刊が始まると全巻を揃えた。中でも『山の人生』は奥三河や奥美濃の話も取り上げられていてたまに読む。
さて、この本が9万部を記録したと知って驚いた。さらに続編もこの度に発刊された。書店で手にするが購入するまではなかった。私にとって目新しいテーマではないからだろう。類書は多数あるのになぜこんなに売れるのかが怪である。著者自身も不思議がっているくらいである。
私の推察であるが、著者が現場で直接取材採集しているからだろう。それが分かる文になっているからと思う。文中から引用すると「体験談は、可能な限り実名にした。「匿名の作り話ならいくらでもできる。これまで延々とやってきた取材の延長上にあるものなので、実名にこだわった。匿名にした話もあるが、まだ遺族がいるとか、子どもが関係しているような場合です。あと、山小屋と避難小屋は名前を出しませんでした。名前を特定すると、怖くて入れなくなるからやめてくれと言われたので」と笑う。」
例えば山岳雑誌『岳人』で奥秩父のミステリーを扱う特集があった。その何年か後に別のライターが日付などを少し違えて再録されたことがあった。明らかに剽窃と思い、編集部に抗議したことがあった。新聞記者でも作家でも巧妙に剽窃する。柳田國男は奥飛騨の親子3人が1杯の蕎麦を分け合う日本風の民話をこれは英国の民話の剽窃と見破ったという。
読者を感動させる出版物には偽物も多い。購入を遅らせているのはそんな懸念があったからでもある。この記事で実名を記載して信憑性を高めていることが分かった。正編だけでも購入して読んでみたい。





[ 2017年02月18日 17:33 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

赤沼千尋『山の天辺』を読む

 赤沼千尋は黎明期の北アルプスの燕岳に登山小屋を建設した人である。『山の天辺』(昭和50年、東峰書房)は折々に書いた随想集の体裁となっている。扉には畦地梅太郎の版画「雪渓に立つ」「燕山荘」が挿入されている。序文は『たった1人の山』の浦松佐美太郎が書いた。
 今回特に書き残したいのは、「山男と遭難」の文に山小屋経営者ならではの秀逸なエピソードがあるのを見つけたからだ。
抜粋すると
「人生ことごとく運である。
山岳遭難もまた運である。」

「ことに雪山、それは荒れた日には、眼も開けられぬ恐ろしさに総毛立つ魔者となり、晴れた日と雪崩と言う武器で、音もなく襲いかかる狡猾な肉食獣となることがある。登山する人間にとって、このような山の災厄から逃れられる唯一の道は、天候などの条件のよい日に登山する以外はない。
 そして、早く登山したいはやる心を押さえながら、良い天候を待ち続ける忍耐心と、待ちに待つ時間がとれるかどうかということが問題なのである。
 冬山は夏山とは違った生き物である。景観も通路も異なり、気象に一喜一憂しなければ、あっと言う間に風雪に吹かれて道に迷い込み、或いは雪崩の巻き込まれるのである」

 黒部の一帯を映画に撮影した名古屋の登山家・伊藤孝一著『狸囃子』からの引用から
「流動を停止した雪崩は、人間の眼には解らないが、停止と同時に力強い圧縮を開始するものである。故に、雪崩れている最中か、又は停止直後に、雪の中から泳ぎ出るか、或いは助け出されルカでなければ、忌まわしい結果が生じる。以下略」
「その夜、(佐伯)平蔵が雪崩に衝かれたら、押されるままにしていてはならぬ。足は飛んだり跳ねたり、手は眼の前を掻いて泳ぐように動かし続けることを忘れるな、と戒めた語り草は、生新しい体験が生んだ不滅の金言として、炉辺に居並ぶ全員の心の髄まで染み込んだ。」

 次は百瀬慎太郎遺稿集『山を想えば』からの引用
「前略、雪崩れに遭った時はいちはやくスキーを脱ぐ事が肝要だと言われる。これが咄嗟の場合によく行われ得る事だろうか。山田二郎氏(筆者注:慶応大学山岳部OB,マナスル隊員、元JAC会長)もこの試みを直ちに実行しようとして、右足のスキービンディングを脱いだ瞬間やられたのであった。それほど雪崩のスピードは速いものであった・・・。」

 以上の引用の後で赤沼自身の言葉は
「こんなエキスパートでも責任感が厚く、良い人たちが雪山に消えて行ったのである。今時の装備と比べれば誠にプリミティブなものであったが、然し登山の熱意と鍛錬並びに事前の準備は大変なものであった。それにも拘らず遭難した。そこには何か抗し難い運命のようなものが感ぜられる。」
と結んだ。
 単に思い出話や自慢話に終始しないで山と人生を語った名著の予感がする。今のところ本書は古書でしか入手できない。(愛知県図書館の横断検索をかけても1冊も蔵書がなかった。)中公文庫、岩波文庫辺りが文庫本化して欲しい。
 他に登山史から忘れられたような伊藤孝一の親友でもある。伊藤は厳冬期の北アルプスを縦走且つ映画撮影行という破天荒な登山家だった。赤沼は黒部の精通者として百瀬慎太郎とともに案内人役で同行した証人である。
  
評伝 
 
 伝記小説





[ 2016年12月30日 10:16 ] 山岳名著 | TB(0) | CM(0)

山の本97巻

9月15日発売の97巻の特集は「私の心をとらえた山の本」であった。
本は1年中読むが、秋は涼しくなり、夜長を楽しむには読書が相応しい。
そんなわけで読書の秋への案内である。
巻頭をかざるのは横山厚夫氏の「私を育てた山の本」で読み応えがある。
他、様々なジャンルの登山家が自分なりの山の本を書いている。
「読者が推薦する山岳図書」には筆者の拙稿が2本掲載された。
編集者はステレオタイプになるのを避けてあえて山岳名著を挙げなかった。
山岳名著だけで1冊の本になるくらいのボリュームがあり、知識を得られる。
本の知識ではなく、自分とのかかわりに絞ったのである。

「山と溪谷」「岳人」などはトレンド誌として流行を追いかける。
長い登山者生活を過ごすうちに服装、持ち物、技術、などなどいつしか付いていけなくなる。
本書の編集方針は昭和時代に立ち止まってじっくり山を味わいたい登山者向けなのだろう。
だからと言って情報は古くはなく新しい。
人が見向きもしない静かな山、人に会わないコースを常に掲載する。
東京や大阪だとこんな視点が必要であるが東海地方の山は一部を除けばなべて静かである。
つくづく恵まれているんだなと思う。
[ 2016年09月15日 08:04 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

豊野則夫編著『東北・上信越・北アルプス沢登り銘渓62選』

 最近はバリエーションルート紹介の文献が復刻ブームの感がある。昨年の白水社『日本登山体系』の普及版での復刻にはちょっと驚いた。データは古いが大きく地形を損なわない限りは利用できる。しかし、沢登り関係は時をおいて最新のガイドが出版されるのは心強い。
 2016年7月には山と渓谷社から沢のガイドの最新版が出た。東北・上信越・日本アルプスから62の銘渓が選定された。日本アルプスが南限となっているのは編著者の豊野則夫氏の好みの問題であろう。豊野氏は白山書房から『北アルプスの沢』の編著にも当る。40年以上沢登りにこだわってきたこの分野のエクスパートである。さすがの豊野氏も66歳になり、これが最後になると書いている。当方も67歳となり昨年の北ア・打込谷では加齢の衰えをいやというほど味わった。もう沢登りを止めようかと思ったがピークハントのみではモチベーションが続かない。本書を読むとまだ1つ2つはやれそうな沢があるので希望をつなぐ。鈴鹿、奥三河、台高、奥美濃など近場の沢で技術や体力を養いながらいつかは紹介された銘渓の1つを目指したいもの。ヤマケイ特有のきれいな写真も豊富に挿入されて読みやすく編集されているので見るだけでも楽しい。



[ 2016年09月07日 17:01 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

「山の日」に考える~志賀重昂と『日本風景論』

今日は新たな国民の祝日となった「山の日」である。
山の日協議会の趣意書の冒頭には
「日本は国土の7割近くを山地がしめる山の国です。日本人は、古くから山に畏敬の念を抱き、森林の恵みに感謝し、自然とともに生きてきました。山の恵みは清流を生み、田畑を潤してわが国を囲む海へと流れ、深く日常生活とかかわりながら、豊かな心をも育んできました。
私たちは、愛する日本に、国民の祝日「山の日」を制定することを提案してまいりました。「山の日」は山の恵みに感謝するとともに、美しく豊かな自然を守り、次の世代に引き継ぐことを銘記する日です。山々が身体の健康や心の健康に、欠くことのできない国民の財産であることを再確認し、山との深いかかわりを考える日にしたいと思います。以下略」と宣言する。

志賀重昂は『日本風景論』の冒頭に
江山洵美是吾郷 という漢詩を掲げました。これはわがふるさとの山や川は洵(まこと)に美しい、という意味である。ここでいうわがふるさとは出身地の岡崎のみならず日本全体です。つまり日本の山を愛しましょうという提言でした。山の日を考えるにふさわしい人物です。
どんな人物だったのでしょうか。
文久3(1863)年12月25日 岡崎市康生町に誕生。明治元(1868)年 6歳の時、父・重職死去。 父は岡崎藩の儒学者で佐幕派。没後は跡取りが15歳未満ゆえに家禄は没収される。母・淑子の実家の松下家で育つ。 明治維新で父は失業と同時に死ぬ。そして収入までも絶たれる。幼くして大変な波乱に見舞われた。
幸いに、父の教え子の小柳津要人の援助で学校へ行けた。小柳津要人は1844年生まれの岡崎藩士でした。明治6年に丸善に入社。後に洋書輸入を手掛けて洋書の丸善の名声を得た人物。岡崎市の名誉市民にもなった。
明治7年(1874年)11歳より攻玉社で英学・数学・漢学を修めて同11年(1878年)に退学。 漢詩文の素養はこの時期の学習による。
明治11年 大学予備門(東大の前身)に進み、約2年間学ぶ。 明治13年(1880年)、札幌農学校に転じた。理由は家禄没収による経済難からか。札幌農学校は学費が安いことも理由。 「少年よ大志を抱け」で有名なクラークは去ったあとでした。その当時には東京大学と札幌農学校しか大学はなかったのですが、授業料も寮費も国庫で給付してくれる制度があったので札幌農学校へ進んだのです。明治17年(1884年)、17歳で札幌農学校を卒業 。その後、学校教員になるが上司とのトラブルで退職。丸善の支配人になっていた小柳津要人の世話で丸善に入社。英語力を生かして輸入書の翻訳を手掛ける。
明治19年(1886年)、23歳で再び軍艦「筑波」に便乗して南太平洋の諸島(カロリン諸島、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、サモア、ハワイ諸島)を10ヶ月にわたって巡り、 翌年に出版した『南洋時事』で、列強の植民地化競争の状況を報じて警世した。この著により、東京地学協会の終身名誉会員に推された。
世界中を地理学者として見聞すると日本の山河への愛着が高まります。「三河男児歌」は明治 22年 10月 1日のみかは新聞に掲載されたのが初出です。志賀 26歳の作です。 明治憲法発布に際し、薩長中心の明治政府だが三河人も元気を取り戻して頑張ろうという激励の意味と言います。
「汝見ずや段戸の山は六千尺。
絶巓天に参はりて終古碧なり。
又見ずや矢矧の水は三十里。
急湍石を噬みて矢より疾し」
とあります。東公園の碑文は「汝見ずや段戸の山は五千尺。雲巓天に参はりて終古碧なり」とあります。 推敲を重ねたものが碑に刻まれています。

明治27年(1894年)8月からの日清戦争。松野鉄千代と結婚。31歳で『日本風景論』を出版した。これは今も文庫本で読める。山岳書の古典です。 漢詩文で科学的な紹介文で書かれた。但し、種本があった。アーネスト・サトーらの編『日本旅行案内』 (明治14年)と、「登山の気風を興作すべし」の「登山中の注意」の部分はガルトン『旅行術』からだ。英語力抜群の志賀重昂はここを翻訳し、原典を明記しなかった。このため登山家でもなく探検家でもない志賀重昂の著書の謎とされていた。黒岩健『登山の黎明』で剽窃として告発された。しかし、これによって著書の名声は揺らぐことはなかった。ドナルド・キーン『日本文学史』近代・現代編によれば明治初期は漢詩文、翻訳の時代と変遷を描く。中期になって言文一致に移行するまでの近代化を急ぐ過渡期であった。著作権の意識もなかった時代である。英語に堪能な志賀重昂にとっては翻訳して紹介する意義が重要であったと思う。そしてこの部分が多くの若者を知識ではなく、登山の実践へと誘った。近代登山の啓蒙に貢献したわけだ。後に小島烏水が読み、登山に目覚め、明治38年の日本山岳会設立へと行くのは10年余りのことだった。名誉会員にも推された。

富士山を名山の基準とした。よほど富士山が好きなのであろうか、長男にも富士男と命名している。ちなみに死後出版された志賀重昂全集の編集者は志賀富士男氏になっている。

付録の登山の気風を興作すべし(岩波版P193)の、三、「水の美、奇は山を得て大造す」を引用してみよう。
水、山にありていよいよ美、ますます奇を成し、平面世界にありて看得ざる水の現象は、山にありてのみ能く認め得。水の最も晶明なる者、最も平和なる者、最も藍靛(らんてん)なる者は山中の湖これを代表し、水の最も最激烈なる者は山蔭の瀑布これを代表し、水の最も清冽なる者、最も可憐なる者は山間の渓水これを代表す。凡そ水の睡り怒り咲(わら)ふの状貌は、山にあらずんば竟に観るべからず。加之(しかのみ)ならず巌は水を承けて緑潤となり、水に齧(か)まれて奇態怪状を呈出す。水の美、水の奇は山を得てここに大造し、巌の美、巌の奇は水を待ちて始めて完成す。以上

沢登りの勧めのような漢詩文です。平面世界とは自分らが起居する街の暮らしのことで、街では水の美を見ることはできないが山ならば見られる。渓谷美は山の奥深く入って見られるの意。

志賀重昂自身も人生の波乱を才覚で乗り越えて、激動の近代日本を見聞しつつ、昭和初期に没した。こんな偉人が愛知県岡崎市の生まれだったとは。ちなみに犬山市を流れる木曽川の日本ラインも志賀重昂の命名になる。



[ 2016年08月11日 00:00 ] 山岳名著 | TB(0) | CM(0)

改訂 新日本山岳誌

楽天ブックス
改訂新日本山岳誌


改訂版の価格は旧版と同じ18000円+税です。

ナカニシヤ出版のHPから
改訂 新日本山岳誌 新刊
日本山岳会創立とほぼ時を同じくして明治39(1906)年、第二代会長・高頭 式(たかとう・しょく)によって上梓された、本邦初の山岳百科事典『日本山嶽誌』。

その伝統を受け継ぎ10年前、小社より『新日本山岳誌』を刊行し、読者のみなさまには多大なご好評をいただきました。

今回、山にまつわるすべての情報を再確認・検証し、最新情報に書き改めた改訂版を刊行いたします。
《改訂版の特色》 本文見本はこちら(PDF)

●震災等で日本の山々が動き、山の所在を示す緯度・経度・標高等々の数値がおどろくほど変わりました。国土地理院の最新データによって書き改めました。

●震災、噴火、水害等々で、山の自然環境も変わりました。登山道に崩壊や障害がないかを現場で確認し、交通アクセスと登山口・下山口も確かめたうえで、コースを書き改めました。

●初版では掲載できなかった山を再検討し、登山に適した上りやすい山を、あらためて地図や写真とともに増補掲載しました。

●初版の平成17(2005)年11月以降の全国の市町村合併による地名変更をすべて改めました。

●日本の山々と自然のすばらしさが世界に認められたことで、「世界遺産」への登録や「世界ジオパーク」への認定がありましたので、一節を設けて、解説を加えました。

●登山コースに沿った登路図は、本文との整合性を見直し、より見やすく書き改めました。また、各山ごとに国土地理院の2.5万図の図幅名を示しました。そして各山の「登路」で紹介した所要時間(コース・タイム)も見直して改めました。
以上
日本山岳会100周年記念事業として出版された。今回の改訂は日本山岳会110年記念事業となった。この10年で標高が変わった。山名、地名が変わった。登山道や山上の設備も設置されたり、撤去されたりした。変わらざること山の如し、というが山も変化したのであり、それを反映させた。旧著は3500部出版されたがすぐに在庫切れになったらしい。こんな高価な本を買う登山者が大勢いるらしい。今では本著収録の4000座を超える山に登る強者もいるらしい。本年は「山の日」がスタートする。新たな登山ブームが来る気配がする。
[ 2016年06月05日 11:27 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

日本登山体系が普及版で復刊!

白水社のHPから
岩登り、沢登りの「バイブル」が全巻復刊!

このシリーズは、1980〜82年にかけて刊行された初版以来、抜群の信頼感から日本のクライミング界に深く浸透し、30年以上経った今も称賛され続けている定番のバリエーションルート・ガイドの廉価版である。初版時の函や口絵を廃し、判型を小さくしたものの、全巻にわたり内容に変更はない。1997年に新装版が刊行されたが、巻数によっては近年品切れが続き、この間、復刊を希望する読者の声が数多く寄せられていた。その声に応えるべく、価格を抑えて手に取りやすいかたちに変更し、全巻復刊したものである。
本シリーズの特長は何といってもその網羅性にある。全国各地の有力山岳会から寄せられた登攀・遡行記録をもとに編集・掲載したルート数は実に4149。もちろん、これらのなかにはもう顧みられなくなったものや、岩盤崩落などによってルートそのものが消滅してしまったものも含まれる。しかし、最新の情報を踏まえたうえで、中級以上のクライマーが「ここぞ」というルートを探し、確認するための実用書としては、まだその輝きを失ってはいない。
かつて、必要十分な解説と豊富なルート図・概念図という「適度な情報量」が、真に自立したクライマーを育てるのだとまで評された。写真やイラストを配したカラフルなガイドブックの対極をゆくこのシリーズで、各地に点在する「通好み」のルートがきっと見つかるはずだ。
以上
このシリーズにはずいぶんお世話になった。一般的な登山のガイドブックから脱してもバリエーションルートはとっつきにくい。まして、沢登りや岩登りの伝統があって記録が蓄積されていく山岳会に所属してきたわけではない。適当な仲間も居らず、経験者や指導者のいない一般山岳会の登山者には経験豊富な先輩であり、確かなリーダーだった。単独で遡行する勇気はないので、たとえば中央アルプスの沢登りの後で下山する尾根の状況を調べて登山道として恐る恐る登ってきた。こうして地形図を読み、登山道ではない尾根や沢を登るうちにそこそこの力はついたと思っている。後に岩登りの素養のある新人を連れて中央の沢を登る際にはこの経験が役にたった。細尾沢を遡り、木曽駒、宝剣を縦走後、伊奈川を下降するような沢中2泊の長丁場もやれるようになった。

まずはこのような文献を読み込み、概念を把握して、実際に地形図を見て登ってみたら良い。本シリーズが長きにわたって求められるのは私のように適当な仲間、指導者もなく、それでもやりたい、行ってみたい、という登山者が少なくないのだ。そこで限界を感じたら山岳会の門を叩くべし。沢専門の会もあるが当会にも問い合わせてください。
[ 2016年06月05日 11:08 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

岩壁の掟・偽りの快晴

定例会で先般のGWの気象遭難の話をした際にこの本を紹介しました。
偽りの快晴とは疑似晴天のことです。気圧配置によって一時的な晴天が表れ、それにつられて入山してしまうと山中で大荒れになり遭難する事例が多かった。その気象メカニズムを使った小説です。気象の専門家・新田次郎らしい作品の1つです。この文庫本はもう古書でしか入手できないようです。

気象の判断は命を左右する重要な知識です。
愛知岳連主催の気象講習会もあります。
しっかり勉強したいものです。

疑似晴天 ぎじせいてん

5/1の天気図
気象衛星の画像を見ると中部山岳地帯は雲の渦になっています。

登山ではベテランでも錯覚しやすい魔の晴天があるという

岩壁の掟・偽りの快晴

[ 2016年05月12日 07:34 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

岳人1月号(2016年)

今月の特集は「ニッポン開山物語」とあるので購入した。
日本の文明開化のうちには、近代登山も入っている。
ヨーロッパアルプスを起源とするアルピニズムがあった。

特集では、本誌の編集長の辰野勇氏がイントロで近代以前の開山へのロマンを囃す。
その心因には「古くからの名山にも、必ずあるはずの初登頂」と自らもアルピニスト
であることを隠さない。

遠藤甲太氏の「日本登山の精神史に沿って」は支離滅裂で何を書きたいのか不明。

注目したのは、P18からP23までを割いて、黒野こうき氏が展開する「江戸時代の北アルプスに
登った「山の円空」、「山の播隆」論である。
黒野氏は登山家や山岳界の関係者ではないが、ネットワーク播隆を主宰して活動する。
山岳会から呼ばれて話をされているようである。
私も伊吹山について調査中、ネットでググルと、黒野氏の『播隆入門』(まつお出版、2014年3月)
がヒット。アマゾンで取り寄せて読んだことがある。
出版元:まつお出版


もう一つ、P40からP43の「開山のエキスパート役小角」もよく調査されて分かりやすい紹介文である。
恵那山の開山は役小角という。前宮登山道の途中に役の行者を祀った祠があったかに記憶している。

それでは名山級ばかりを開山したかというとそうでもない。
2015年9月に、これもネットをぐぐっていて『愛知の行者さま』(ブイツーソリューション発行)がヒットしたのでアマゾンで取り寄せた。
愛知の行者さま

本書は愛知県の山々を愛し、隈なく踏破して止まない山中宣男氏の労作であろう。編集はシンプルで民俗学の資料ではないと謙遜されるが余計な解釈を挟まない方がよい。愛知の山を歩いていて山上や峠、山道で見かけたら楽しいと思う。

様々に山への思いを寄せる刺激剤として、この特集は買って良かったと思う。


[ 2015年12月30日 11:28 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)

新刊 続山頂渉猟 知られざる山・道なき山の記録



 まえがきの代わりに書かれた「無名峰へのこだわり」とあとがきを読むと1940年生まれの著者の加齢との闘いが良く理解できる。登りたい山は益々増えるが、登山する体力と気力の衰えとは反比例するのである。
 私も9月末の連休に北アルプスの内込谷を遡行して、体力の低下をいやというほど味わった。2日で抜ける予定を1日半プラスしてしまい、同行者の家族が心配して、警察に捜索願いを出した為、ヘリの出動となり遭難騒ぎを起こしてしまった。その後、高山警察署でたっぷり油を絞られた。
 登りたいが、もう行けなくなったと、どこで線引きすれば良いのかは自分で決めるのだが、そんな心情も吐露されて並みの山書とは一線を画する。しかし、それを本にできただけで幸福なことである。多くの登りたい山を諦めるのも山男の仕事。
 自費出版なら結構な散財だが、本書は値段をつけてあり、書店で誰でも買える。
[ 2015年11月30日 10:48 ] 出版案内 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

東海白樺山岳会

Author:東海白樺山岳会
 1962(昭和37)年に名古屋市交通局の有志数名が設立。その後一般社会人の親睦の登山クラブとして継承されてきた。40歳代から80歳代の男女約24名(2016年11月現在)が年間を通じて計画的に実践。
 三河、美濃、鈴鹿の日帰り登山、岩登り、沢登り、山スキー、冬山以外にも夏山縦走も楽しむ。皆で誘い合い日本百名山、日本三百名山を目指す会員もいる。個人の志向でぎふ百山、信州百名山、富山百山、一等三角点のピークハントを目標にする会員もいる。
 例会は第1水曜日(都合で火曜日になることがある)に名古屋市中区生涯教育センターで夜7時から8時30分まで。会合は山行への参加を募る重要な場なのでなるだけ出席を。欠席者にはメール、郵便、ファクスで伝達。会報も年間4回発行。総会(事業報告、役員改選、会計報告、規約改正など)は4月に実施。
 イベントは1月の新年会(町)新入会員の入会に応じて新人歓迎会(山で)、年末は忘年山行(1泊2日)、登山、岩登りの初心者の指導練習も適宜練達者のリードで実施。
 会費年間3000円。入会金2000円。別途山岳共済保険加入のための岳連会費と保険料要。現在会員募集中。問合先090-4857-9130西山まで。メールフォームからもどうぞ。

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